ノルウェイの森 【村上春樹】
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アフターダークが面白かったので続けて村上春樹作品。上下二巻構成。
文章も分かりやすく、あっという間に読み終えました。
一気に読ませてしまう、という点では東野圭吾作品には及びませんが、
人間の内面奥深くを描きながらもここまで読みきらせる、
という点ではスゴイな、と思いました。
単順に作風が僕の感覚に似ているからかもしれないけど。
主人公ワタナベは僕だ。
違うのは置かれている環境と体験してきた経験。
ただそれだけ。
...ただそれだけで人の人生こうも違うものか。
主人公ワタナベは高校生のとき親友キズキが原因不明の自殺を遂げて以来、
あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置いて生きてきた。
キズキの恋人である直子も。
物語はそんなワタナベと直子を中心とした恋愛物語。
状況展開よりも、心情描写のほうが多いんじゃないかな。
そういう小説は受け入れられれば強い共感を生むけど、
そうでなければ逆に強い反発を生む。
僕はもちろん前者でした。
とても感覚が似ている。
それでも僕がワタナベのように不幸な人生を歩んでいないのは、
セレンディピティ能力の有無による差だと思うのです。
僕にはそれがあって、ワタナベにはそれがない。
ワタナベの周囲は不幸な人だらけ。
自分の弱さゆえに精神を病み、死を選ぶ人たち。
強いけど共感する喜びを持てない人間たち。
そんな人ばかり。
僕の周りにはそんな人はいない。
みんな希望を持って生きている。
だから僕も希望を持つことができる。
第八章、一番共感した部分。
ミスター・パーフェクト、永沢さん(ワタナベの先輩)の台詞。
なんとも傲慢じゃありませんか。
しかし自分も若い頃はたいていこんな考え方してた気がします。
若さって傲慢以外のなにものでもない。
一方でワタナベの言葉。
これは今の僕の感覚に近いものがあるけれど、正確には
「誰に理解してもらいたいか」よりは「どれだけ理解してもらいたいか」
というほうが重要だと思うのです。
どんなに自分が理解してもらいたいと思っても、
どんなに自分が信用をおいている人でも、人はエゴの世界からは出られない。
他人のエゴに近づくことはできても完全共有することは
99.999の9が永遠に続くように不可能なのです。
自分を理解することさえ難しいのに、どうして他人を理解することができよう?
それでも自分を他人に理解してもらいたいと思うのは、
エゴの中に一人でいるのは寂しすぎるから。
本当に大切なのは「理解しているかいないか」じゃなく、
「理解しようとしているかいないか」ということ。
永沢さんはこうも言う。
この言葉に対し僕は肯定もするし、否定もしてしまう。
完全理解は不可能、という点ではこの言葉は真実だけど、
「自分を理解してほしいという想い」が「相手を理解しようという想い」に繋がる、
という点では真実ではないから。
この言葉に対する永沢さんの恋人、ハツミさんの言葉。
この問いに対する永沢さんの言葉。
...だから恋はいつまでも続かない。続いてはいけない。
他人を完全に理解することは不可能だということに気づかなければならない。
他人を理解することを強いることは不可能なことを強いていることに
他ならず、その人を苦しめるだけなのだから。
大切なのは「理解すること」じゃなく、「受け入れること」ということに
気づかなければならない。
相手の理解できない部分も含めて全てを受け入れること、
それを「愛」と呼ぶんじゃないのかな。
恋はトリガーでしかない。
火打石で火をつけるときに散る火花みたいなもの。
そこから「愛」という火をいかに燃やし続けらるか。
愛から得られる「安らぎ」はそこにかかっている。
...とまあ柄にもなくこんなことをアツク考えてしまった一冊でした。
ちなみにタイトルの「ノルウェイの森」はビートルズの曲だそうです。
どんな曲か聴いてみたいなあ...








コメント (1)
この本、19か20歳そこそこの頃に読んで、得体の知れない妙に生々しいような気持ちになったのを覚えています。そのときはまたいつか、私がもう少し大人になったら再び読んでみようと思ってました。だけど再びその生々しい感じを味わうのがなんとなく怖くて結局今まで再読することなく・・・。まだ本は持っているのでひさしぶりにページを開いてみようかと思います。以前読んだときには見つからなかったことがありそうな気がします。
投稿者: junjun | 2007年4月 3日 11:22
日時: 2007年4月 3日 11:22