

この本をAmazonで買う
なにげに今年初の記事。
相変わらずスローペースながら本は読んでる。
でもだいたいデザイン、アート関係なのでレビューはデザインブログのほうで、
相変わらずテレビで映画やドラマは観てる。
しかしますます僕の中から世の流行を追う気持ちが薄れ、
レビューを書く意欲が湧いてこない。
そしてこんなに更新が空いてしまった。
この本もデザインブログのほうに書こうかと思ったけど、
「ベロニカは死ぬことにした」はなぜかこちらでレビューしていることだし、
景気づけにこっちで書くことにしよう。
セックス。
種の繁栄のために必要にして欠くことのできない神聖で、大切な行為。
しかし、なぜか人間はセックスを恥ずべき行為とみなそうとする。
正確にはセックスそのものをタブー視するのではなく、
セックスについて「語る」ことをタブーとする。
ヌードも絵画であれば芸術となり、
そこに動きが加われば、ポルノ、アダルトビデオとなって、
一気に低俗なエンターテインメントとなる。
セックスに「経済」が結びつけば、売春、買春となって法を侵す行為とされる。
とどのつまり、セックスを「種の存続」以外の価値をつけることがタブー視される。
たとえそれが「愛」であっても。
だから人々はセックスをおおっぴらに語ることを恥じる。
...もちろん、僕もその人々中の一人である。
"11分間 【パウロ・コエーリョ】"の全文を読む »
ブラジルの片田舎で平凡な人生を送っていた美しい少女マリーアは、
あるときバカンスで訪れたリオで、ひょんなことがきっかけで、
ブラジルから遠く離れたスイスはジュネーヴに渡り、
高級コールガールとして働くことになる。
少女時代の失敗から、セックスにオーガズムも、希望も、愛も
見出せなかったマリーアだったが...
今現在、私はひとりぼっちすぎて、愛のことなど考えられない。しかし、これもじきに過ぎ去って、仕事も手に入るのだと自分を納得させる必要がある。そして、今ここにいるのはこの運命を私自身が選択したからだということも。ジェットコースターは私の人生そのもの、人生は目が眩むような強烈な賭け、人生はパラシュートのダイビング、リスクを冒して、倒れてもすぐに立ち上がること、登山と同じで自分自身の頂上まで登りつめたくて、それができないと不満で悶々としてしまうのが人生。(P70 )
ひとりぼっちでいるから愛が得られないのか。
それとも愛が得られないからひとりぼっちなのか。
十一分。世界は、わずか十一分しか、かからない出来事を中心として、そのまわりをぐるぐる回っているのだ。...(中略)...文明には何かとても間違っているところがあるのだ。間違っているのはアマゾンの森林伐採ではなく、オゾン層の破壊でもなく、パンダの絶滅でも、刑務所の惨状でもない。新聞で大々的に伝えるそんなことではない。最大の問題はまさに彼女が仕事としていることなのだ-セックス。(P120)
もちろん、森林伐採も、オゾン層の破壊も、他の生命を徒に絶滅に追いやっていることも、
全部間違いであることは分かっている。
しかし、それ以上に間違っていることは、
セックスが唯一の、そして究極の愛情表現だと人間が思っていることである。
愛とセックスは必ずしも常に連動するとは限らない。
しかし愛と連動するセックスはより大きな幸せが得られる...はずである。
「私っていうのは三人いるのよ、私を求める相手次第で。ひとりは<純真な少女>、いつも男の人をすごいなあって思って見ていて、彼らの語る権力や栄光の物語にすごく感心したようなふりをするの。<運命の悪女>は、自信がなさそうにしている男を容赦なく責めたてて、そうすることによってその場の支配権を握るの。それでかえって彼らを解放あげるの、もう彼らは何か心配して虚勢を張る必要がなくなるわけだから。三人めは<慈愛に満ちた聖母>、アドバイスを求めている人の面倒を見て、話を聞いてあげるの、すべてをわかっているみたいな様子をして。でも実はそんな話、右から左へと聞き流している。この三人のうち、誰をあなたは知りたいの?」「君自身だ」(P155)
男が女に求めるものは3つ。
自分を崇める崇拝者と、自分を叱咤激励する教育者と、自分を優しく包んでくれる母。
そして実際、女はそのいずれも持っている。
だから女は複雑で難しい。
そして男は単純だから余計に理解に苦しむ。
「あなたは私が何を感じているのかわかろうとしてくれたけども、男の人たちはどうして、いつもセックスのことばかり考えているの?」「僕らがセックスのことばかり考えていると誰が言ったんだい?正反対だよ-僕らは、セックスは男にとって重要なものなんだと自分に信じこませるために、人生のうちの何年も無駄にしているんだ。...(中略)...すべてが、女たちが男にこうあってほしいと期待しているものを、自分は体現しているということを他の人たちに告げ知らせるためなんだ。でも、ひとつ教えてあげようか?そんなことはどうでもいいんだ。僕ら男は何もわかってない。僕らはセックスは射精のことだと思っている。君が今言った通り、そうじゃないんだが。僕らが何も学ばないのは、女に<君の体を教えてくれ>と言うだけの勇気がないからだ。僕らが学ばないのは、女が<私がどんなふうになっているのか学んで>という勇気がないからだ。僕らは種の存続という原始的な本能にとどまっているんだ、それだけのことなんだ。馬鹿げていると思うかもしれないが、男にとって、セックスよりも大事なものはなんだか知っているかい?」お金か、権力か、と思ったけれども、私は何も言わないでおいた。「スポーツさ。どうしてだかわかるか?男は、他の男の体なら理解できるからだ。スポーツを見るとき、人は理解しあっている肉体と肉体の間の対話を見ているんだ」「あなた、頭がおかしいんじゃないの」(P351)
愛は相手に何かを「求める」行為ではなく、相手に何かを「与える」行為である。
相手に何かを求めるのは愛ではなく、「欲求」である。
好きだからそばにいてほしい、自分だけを見ていて欲しい、自分を大切にしてほしい、
これらはすべて愛ではなく、ただのエゴである。
相手に期待する、その時点でそれは愛ではなくなる。
ただ相手の幸せを願い、そのために自分ができることを行い、
与えられるものを与える。
そして相手が幸せになることで自分が幸せを感じる。
それが愛というものではないのだろうか。
口では偉そうに言っても、僕はまだまだ愛がよく分かっていない。
愛は一生をかけて学ぶ価値があるテーマなのである。
頭で理解するのではなく、
身体にしみこませなければ愛を本当に感じることはできない。
ただ、その域に達するためにはやはり理性で考え続けなければならないのである。
いつもずっと一緒にいることが愛なのだろうか。
自分や相手を拘束することが愛なのだろうか。
相手のために自分の大切なものを犠牲にすることが愛なのだろうか。
愛の形は人それぞれだけど、世界は一つである。
それぞれの愛が一つに繋がってはじめて愛は愛たり得るのである。
だから愛は難しい。簡単だけど難しい。
この本から得た、最も重要なことは、
クリトリスと「Gスポット」とは違う、ということ。
...まだまだ女への理解が足らないようです。