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2009年6月 8日

継母上京

Family

angel.jpg


気がつけば3ヶ月ぶりの更新。
相変わらず道を求める日々だけれど。

...なぜかブログが更新できずにいた。


継母が上京してきた。

妹と継母は創価学会の会員なのですが、
今回はどうやらその関係で上京したらしい。

義母ときちんと会うのは「大人になって」からは二度目。
こう言うと義母は怒るかもしれないけれど、
だんだん祖母に似てきている気がする。

祖母と義母は長い間折り合いが悪い。
似たもの同士は憎み合う、ってことか。
祖母方にいた僕はほとんど継母と接触する機会がなかった。
自分を捨てた父親の後妻、ということもあって、
二十代の間は食わず嫌いで会いもせずに忌み嫌っていた。


三十代も後半になった今、ようやく食わず嫌いをやめ、
彼女とも前向きに「友人」になろうと思うことが出来るようになった。


祖母と同じ雰囲気を感じる、ということは、彼女もやはり「いい人」なのだろう。


「完璧な人間」などいない。

いるのは弱い人間と強い人間だけだ。
弱さが人を誤らせ、強さが人を守る。


「同じ血」がお互いの関係を自動的に深めてくれるわけではない。

同じ血であってもお互い歩み寄る努力がなければ、
お互いを理解することは出来ない。
逆に言えば、血の繋がりはなくても、歩み寄る努力さえあれば理解できる。


継母について創価学会の本部のある信濃町へ。

僕自身は宗教には興味はない。
...というのは正解じゃないな。

興味はある。
でも特定の宗教に入信する気は「まだ」ない。
今は宗教は特定の距離をおきつつ、客観的に学びたい。

本部は大きく、実に多くの人が出入りしていた。
一見みな普通の人々に見える。
しかしそれでいて、どことなく異様な空気を感じる。

たった一度訪れただけで、その対象を否定する気はない。
人はなにかにすがることで強くなることが出来ることも分かる。
異様な空気は自分自身にあることも。

ただ、僕は宗教にすがる気はない。
今はすがるものは別にある。


確かな信心を得る前に、周到な懐疑がある。
信じるために疑う。
だから今、僕は学んでいる。


キリスト教や仏教の意義がようやく、なんとなく理解できるようになった気がする。
信心を得るには、悠久の時が必要だ。
過去の偉大な宗教でさえそうなのだ。
創価学会は怪しいから悪なのではない。
歴史が浅いことが僕にとっては悪なのだ。


建物内にあちこちに現代の会長が撮ったという写真が飾ってあった。
とても美しい写真だった。
会長が海外の著名な大学から名誉学位を授与されるパネルがあった。
大きな大学を持ち、膨大な会員数。
酷評する人もいるだろうけれど、必要としている多くの人がいることも確かだ。


信じる努力を重ね、時間を重ねることが必要なのだろう。
宗教も、僕も。


信じることは力だ。
それだけは分かる。


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Author: ただおー
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父母に捨てられたトラウマが僕の人生を逃げ道へと誘惑する。 自分の生きる道を見つけるために日々の生活で思うことを記録する。時々旅して自分を客観的に見つめる。

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