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2009年7月24日

コンチェット(奇想)の達人、ジョン・ダン【マニエリスム】

文学/ 学業

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[ジョン・ダン肖像画](出典:Wikipedia)


前期試験が終わり、一応夏休みに入りました。

しかしまだレポートが残っていたり、ゼミの撤収作業が残っていたりと
まだ気が落ち着けません。

前期のテストは中村先生の「特講Ⅰ」のみ。
結果は...たぶん完璧。

録音した講義内容を聞き返しながらテスト勉強。
ノート持ち込みOKなので、暗記する必要はないのだけど、
限られた時間内でしっかり記述するために、要点を整理。

せっかくなのでブログに記録しておこうと。


まずはイギリスのマニエリスムの詩人、ジョン・ダン。

奇想(Concetto:コンチェット)の達人。



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聖職者にして魔術信奉者。

この2つの相容れない要素を併せ持つキャラクターが詩の表現にも表れている。


  僕の顔は君の眼に、君の顔は僕の眼に映り、
  その顔には飾り気のない真心安らっている。
  こんな瞳よりすぐれた二つの半球がどこにあろうか。
  そこには身を切る北も、日の没する西もないのだもの。

  ...

  愛は目に見える他のすべてを制御し、
  一つの小部屋を全世界に変える。
  海洋探険家は新世界に行ってしまってくれ。
  他の人には地図を、世界に世界を重ねて見せよう。
  だが僕たちは一つの世界を持つのだ。
  それぞれが一つを持ち、一つの世界なのだ。
  (「目覚め」 "The Good-morrow")


恋人の瞳に映る自分、自分の瞳に映る恋人の姿に「世界」を見る。
ルネサンスを経て科学技術が進歩し、大航海時代となり、世界は狭くなった。
世界は平たい板ではなく、丸い球であることが判った。
人間の瞳を一気に地球へと昇華させることのダイナミックさ。


Wikipediaによれば、ジョン・ダンは、

  「まったく似たところのない二つの概念を一つに結合させる拡大したメタファー、
   いわゆる『形而上的奇想』の達人」

だとか。

独創的、空想的でありながらリアリズムが常に根底に横たわっている。
そこがジョン・ダンの詩の魅力だと言える...らしい。

技術が進み、
ヴェネツィアン・ガラスに代表される正確な反射光が得られる鏡が現れても、
捻れた像が映し出される凸面鏡を好んだ。

聖職者、という社会からに認められた地位にいながら
一方で魔術を好んだ。

その辺にジョン・ダンの奇想によるイメージの転換の面白さがあるのでしょう。


とくに詩に興味があるわけではないけれど。
詩なんて生きていくのになんの助けにならないのかもしれないけど。


異なる二つのものをいかに結びつけるか。
そのヒントが彼の詩にはある気がします。


授業では出てこなかったけど、有名な詩の一節に「誰がために鐘は鳴る」があります。

いまや穏やかな響きを立てて、鐘が私に言う。

「汝は死せねばならぬ」と。

...(中略)...

何人も孤立した島ではない。いかなる人も大陸の一片であり、全体の一部である。
一塊の土くれが海に洗い流されても、ヨーロッパがもとの姿を失わないように、
あなたの友人あるいはあなた自身が洗い流されたとしても、
それが無に帰するわけではない。・・・

だがいかなる人の死も、私の一部を失った気にさせる。
なぜなら私は人類の一員なのだから。

それ故私はあなたがたに言いたいのだ。
あえて知ろうとするには及ばない、誰がために鐘は鳴るのかと。
それはあなた自身のためにも鳴っているのだから。

(瞑想録第17、出典:English Poetry and Literature

同名のヘミングウェイの小説のタイトルはこのジョン・ダンの説教の一節から取られました。


混沌と秩序が同居する矛盾を孕んだ世界で、
人は孤独と共有を同時に抱えながら生きてゆかねばならない。


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