世界の中心で、愛をさけぶ【香川県庵治町】

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  あの頃、

  僕は世界が溢れるくらい

  恋をした。

  あの時の君の声

  今でも僕は

  聞くことができる。

  僕は生き残ってしまった

  ロミオなんだ。

  でも、たとえ今

  この腕に君を感じなくても

  僕は君を生きていく。

  『世界の中心で、愛をさけぶ』


ドラマのロケ地なんてあんまり興味持たないほうだけど。

広島で過ごした二十年のうちに四国に足を運ぶことはなかった。
はじめて訪れたのは、東京で14年間勤めた会社を退職した直後。
尾道からしまなみ海道を自転車で渡り、今治に入った。
今治駅に向かう途中で車道から歩道に乗り上げようとして転倒、自転車が壊れた。
暗い夜道を駅まで1時間ほど自転車を押して歩き、そのまま電車で今治から高松へと向かった。


当時結婚に失敗し、それまでの人生を反省する日々の中で、
長年にわたって抱えていた仕事への「疑問」が日増しに大きくなり、
会社を退職して、大学という場所で自分探しをすることにした。

そんな折、テレビで再放送されていたセカチューのドラマにはまった。
たぶん心が弱ってた。

ドラマ版はひたすら悲哀に走っていたけれど、
映画版は同じストーリーでありながら、どこか「せつなさ」が強調されていたように思う。
「悲しさ」と「せつなさ」。
似たような感情だと思うのだけど、
二つの感情は別ものであることをこの物語は教えてくれるような気がする。
悲しさはやがて記憶から消えてゆくけれど、
せつなさはそれに逆らって記憶にすがろうとする。
それがなおさらせつなさを増幅させる。


いつもなら映画やドラマのロケ地なんか気にもしないのに、
身辺整理を終えて、第二の人生を歩もうとするまさにその時期に、
セカチューの舞台に行きたくなった。

香川県庵治町。
四国ではじめて訪れた町。


王の下沖防波堤。

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  「じゃあなんでオレと一緒に乗ってきたんだよ?」
  「そんなの決まってるじゃない。...サクと話したかったから」


どこにでもある港町。

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どこにでもある仏像。

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皇子神社。

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  「目覚めたときのジュリエットの気持ちってどんなんだろ。
   好きな人が先にいなくなるときの気持ち」


専修院。

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  「すごいよね、広瀬って。他の女子なんてピーピー泣いてるだけなのに。
   大人びてるっていうか、なんつーか」


谷商店。

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  「32,000円かあ」
  「高いね」

映画の中では電気屋さんでした。実際はご覧のとおり布団屋。


北山地区町道。

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  「いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!」
  「いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!」

若いときはとにかく無性に叫びたくなったよね。
今でも時々そういうことはあるけれど。


桜八幡宮 宮ノ下橋。

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  「イッテ〜」
  「ハハハ、バカが釣れた」


稲毛島。

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劇中では「夢島」。


庵治町は石の町。

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ポストも石造り。

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庵治石として有名だとか。

イサム・ノグチもそれでとなり町の牟礼に日本での拠点を置いた。

イサム・ノグチ庭園美術館。

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近くには彼がデザインした遊具が置かれた公園も。

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今見返しても、それほど特別な物語でもない。
とくに自分の人生に重なるものがあるわけでもない。
あれほど世間が熱中したのも、単なる宣伝効果なのかもしれない。

それでもいまだに心の何処かに引っかかるものがあるのはなぜだろう。

それが作り手側の「人の心を捉える」手法なのかもしれない。
感動を伝える、という意味では地域おこしにも通ずるものがあるのかな。


庵治町はどこにでもある、フツーの町でした。
でも、良い町だと思った。

特別なストーリーを作るのに必要なのは特別な場所じゃない。
地域を特別なものにするのは、特別な資源だけじゃない。

地域に対する特別な気持ち=「感動」が地域を特別なものにする。