キャッチャー・イン・ザ・ライ【J.D.サリンジャー、村上春樹訳】

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村上春樹訳 新時代の『ライ麦畑でつかまえて』。

他の訳者の訳を読んだことはないので、
村上春樹の訳風といったものはよく分かりません。
ただ、グレート・ギャツビーよりは読みやすかった。

しかしラスト50ページに至るまでは正直読むのが苦痛だった。
読みにくいからではなく、あまりに主人公ホールデンの吐く毒がキツイから。
ときおりホールデンの発する言葉の中に世の中の真理みたいなのが
ちらほら垣間見えるんだけど、最初は吐く毒のほうがきつくて
その真理がなかなか素直に受け入れられなかった。

でもラストはすごく良かった。
ラスト50ページまでの世の中のすべてを憎んでいるようなホールデンの毒は
このラストの良さを引き立たせるために必要なものだったのかもしれない。


物語自体はハイスクールを退学処分になった主人公が実家に戻るまでの
数日間を主人公自身の言葉で語られたもの。
出来事ではなく、主人公の心理描写が重点的に描かれています。

ホールデンほど毒にまみれてなくとも人間誰でもホールデンのように
思うことが一度や二度はあるはず。ぼくもある。
そしてその部分は人生を生きていく上でどうしようもなくせつない部分で
あったりする。それがこの物語を名著たらしめてるんだと思う。


僕がこの本に興味を持ったのは、東野圭吾「手紙」のあとがきで、
この本がジョン・レノン殺害の犯人やレーガン元大統領を狙撃した青年
の愛読書だったことから一時期有害図書に指定されていた、というようなこと
が書かれているのを読んだときでした。

この本を読み終えて別段凶悪事件を起こしたくなったとか、
そういうことはまったくないのだけど、でもなんとなく「わかる」気はした。

殺人、という行為自体はまぎれもない「悪」だ。
殺人行為自体は「悪」なわけだからそれを犯した人間は
その罪を償わなければならない。

しかし殺人者そのものが「悪」そのものかというと、そうとは限らないとも思う。
ときにあまりに純粋すぎたとか、世の中の摂理を受け入れ切れなかったとか。
そういう部分をあからさまに「悪」とはいいきれないはずだ。
もし言い切ったとすれば、世の中こんなに悲しいことはないと思う。

殺人を肯定したいわけではない。
どんな場合でも殺人は許されない。


世の中はキレイ事だけでは通らない。
それは真実だ。
しかしそれは一方で「キレイ事」というものも必ず存在することを意味する。
世の中は矛盾に満ちている。
それを受け入れることが大事で、その上で、矛盾に満ちた世界で、
「キレイ事」を探していく。それが正しくこの世界を生きていくことであり、
「強く生きる」ということじゃないのだろうか。


一番気に入っているくだり。

「...でも僕が言いたいのはですね、なんていうか、いったん話を始めてみるまでは、自分にとって何がいちばん興味があるかなんて、わからないことが多いんだってことなんです。それほど興味のないものごとについて話しているうちに、ああそうか、ほんとはこれが話したかったんだって見えてきたりするわけです。そういうことってあるじゃないですか。つまり僕は思うんだけど、少なくとも誰かが何か面白そうなことをやっていて、それに夢中になりかけてるみたいだったら、しばらくそいつの好きにさせておいてやるのがいちばんじゃないのかな。そういう具合に夢中になりかけてるやつを見てるのって、なかなかいいものなんです。ほんとに。...」

ある意味ひねくれものだけが共感できる物語なのかもしれない。
でもひねくれている、ってことは人を不快にさせるんだってことも分かった。


...ひねくれるのもほどほどにしなきゃね。