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2008年10月 5日

子曰く、【論語・孔子ほか】

文学

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大学の授業で論語を学んでます。

逐一全部読むのは大変だけど、その中には心に響く人生訓が潜んでいる。

今回はそれらのいくつかをピックアップ。


論語は以下のどこかで聞いたことのあるようなフレーズからスタートします。


「子曰く、学びて時(つね)に之を習う。亦(また)悦ばしからずや。
 朋遠方より来る有り。亦楽しからずや。
 人知らずしていか慍(いか)らず。亦君子ならずや。」

学ぶ楽しさ。
友がそばにいる楽しさ。
それが分かるなら世間が自分を理解しないからといって怒ることもない。
それが君子のごとき立派な人というものだ。


...一部意訳が入ります。



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「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず。
 人を知らざるを患う。」(学而 第一 一六)

他人が自分を理解しないことを憂うな。
自分が他人を理解しないことを恥じろ。


「子曰く、
 吾十有五にして学に志す。
 三十にして絶つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順(したが)う。
 七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)をこ踰(こ)えず。」
 (為政 第二 一一)

孔子でさえ、七十にして大成した。
四十まであと三年。果たして惑わないようになることができるのだろうか。
自分が大成するのはいつなのだろうか。


「子曰く、故きを温めて新しきを知る。
 以て師為る可し」(為政 第二 一一)

「温故知新」の元となったもの。
ゼロから新しいものが生まれるものではない。
既にあるものを工夫して新しいものが生まれるのだ。


「子曰く。先ず行う。
 其の言や而(しか)る後に之に従う。」(為政 第二 一三)

ぐだぐだ言わずにまずはやってみろ、ということですね。
「百聞は一見にしかず」と同じようなものかな。


「子曰く、君子は周して比せず。
 小人は比して周せず。」(為政 第二 一四)

立派な人は誰にでも公平で広い目を持つ。
器の小さなものほど自分の好き嫌いで徒党を組んで狭い世界に籠もる。
...世界の広さを知れば人皆それぞれ十人十色であることが分かる。
つまらない争いも起こらないというもの。


「子曰く、学びて思わざれば、則ち罔(くら)し。
 思いて学ばざれば、則ち殆(あや)うし。」(為政 第二 一五)

学んで知識を得ても、それを生かすことを考えなければ幸先は暗い。
考えてばかりいても正しい知識がなければ独善的となり、危ない。
...知識はあっても使わなければ意味がない。
いくら考えても正しい知識がなければ正しい答えは出てこない、ということですね。


「之を知るは之を知ると為し、知らざるは知らずと為す、
 是れ知るなり。」(為政 第二 一七)

知っていることを知っていると自覚し、知らないことを知らないと自覚する。
それが本当に「知っている」ということだ。
...ソクラテスの「無知の知」と同じ意味ですね。


「子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。
 義を見て為さざるは、勇無きなり。」(為政 第二 二四)

祭るべきものでないものを祭ることは不義理である。
正しいと分かっていながらそれを行わないのは勇気が無いからである。
...後半の「義を見て・・・」の部分が有名ですよね。
正しさを分かっていてもそれを行わなければ正しいとは言わない。


「子曰く、君に事(つか)うるに礼を尽くせば、
 人以て諂いと為す。」(八いつ 第三 一八)

自分では大切な人に礼を尽くしているつもりでも、
なにも知らない者から見れば諂っているように見えるものだ。
...とかく他人の目を気にしても、その目は常に正しいとは限らない。


「子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。」(里仁 第四 八)

自分がやるべきことを知って実行しているなら、いつ死んでも構わない。
...すでに幸せな人生を生きているのだから。


「子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。」(里仁 第四 一六)

立派な人は本質でものを考え、器の小さな人間は損得でものを考える。
...大切なものはなにか。それを知り自覚することが幸福への道だ。


「子曰く、父母の年、知らざる可からず。
 一いは則ち以て喜び、一いは則ち以て懼(おそ)る。」(里仁 第四 二一)

父母の歳を忘れてはならない。
長命を祝うと同時に老いを気遣う気持ちを持たねばならない。


「子曰く、君子は言に訥(とつ)にして、行ないに敏ならんことを欲す。」
(里仁 第四 二四)

立派な人は口下手であっても、行動は俊敏なものだ。
...何事もやってみなければ分からない。


「子曰く、徳弧ならず、必ず隣有り。」(里仁 第四 二五)

徳は孤独ではない。人を呼ぶ。
...孤独は悪なのか。


「子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。
 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。」
(雍也 第六 二〇)

物事の境地へはただ知るだけでなく、実際に実践し、
それを楽しむことで達することができるものだ。


「子曰く、知者は水を好み、仁者は山を好む。
 知者は動、仁者は静。
 知者は楽しみ、仁者は寿もてす。」
 (雍也 第六 二三)

「知者」は賢人、「仁者」は聖人を指す。
賢くなるためにいろいろ動くか、悟るためにひたすらゆっくり考えるか。
太く短く生きるのか、細く長く生きるのか。
...自分はどのように生きるのだろうか。


「子曰く、中庸の徳為る、其れ至れるかな。
 民鮮なきこと久し。」(雍也 第六 二九)

プラトンの中庸と同じことなのかな。
物事はほどほどが良い、ということですね。


「子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ。」
 (述而 第七 六)

道を求め、徳に寄りかかり、愛を纏って、自分を表現することを楽しむ。
...これが幸せというものではなかろうか。


「子曰く、我は生まれながらにして之を知る者にあらず。
 古を好み、敏にして以て之を求めたる者なり。」
 (述而 第七 一九)

生まれながらにして真実を知る者などいない。
前人の知恵を好み、学ぶことで真実を求めたから得られたのだ。


「子曰く、仁遠からんや。
 我仁を欲すれば、すなわち仁に至る。」
 (述而 第七 二九)

道は求めれば得られるものである。
...たとえそうでないとしても、そう信じることが大切なのだ。


「子 四を絶つ。
 意なる毋(な)かれ、必なる毋かれ、固なる毋かれ、我なる毋かれ、と。」
 (子罕 第九 四)

十戒ならぬ四戒。
我意に囚われるな。物事を決めつけるな。凝り固まるな。利己的になるな。


...まだまだ続いて二十章まで続くのですがとりとめもないのでこの辺で。


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