2017年4月 2日

超大作《スラヴ叙事詩》全20作チェコ国外世界初公開・ミュシャ展【国立新美術館】

アート / 展示・イベント

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たどり着いたのは、故郷への想い。


三年ぶりの東京。
まずは国立新美術館で開催中のミュシャ展に行ってきました。
今回の目玉はなんといっても全20作の超大作「スラヴ叙事詩」。

アール・ヌーヴォーを代表するチェコのデザイナー、アルフォンス・ミュシャ。
派手で華やかな女性のポスターで有名なミュシャですが、
デザイナーとしての成功の末にたどり着いたのは、
故郷への想いを画家として表現することだった。

その想いの結晶が晩年の16年という月日を費やして制作された「スラヴ叙事詩」。
スラヴ民族にまつわる歴史、寓話や神話を題材とした全20作の絵画。
大きいもので一辺が縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大絵画の数々は、
華美なデザインとは程遠く、静謐だが言いようのない迫力を感じさせるものだった。

ミュシャは当時諸外国からの圧政に苦しめられていた故国の状況を憂い、
スラヴ民族の愛国心を鼓舞するために「スラヴ叙事詩」を描き上げましたが、
皮肉も制作中に故国はチェコスロバキアとして独立して自由を手にし、
ピカソなど抽象的な現代アートが台頭してきたこともあって、
完成時にはすでに時代遅れと評されるようになっていた。

ミュシャの存命中に「スラヴ叙事詩」全作品が公開されたのは、
チェコスロバキア独立10周年の1928年の1回のみ(正確には一点を除く全19作品)。
その後1939年にナチスの台頭によりチェコスロバキアは解体、
ゲシュタポに逮捕されたミュシャは厳しく尋問されたことが原因で体調を崩し、他界。

「スラヴ叙事詩」はプラハ市に寄贈される際に専用の展示場を建設する約束だったが
その約束が果たされることはなく、故郷の城中で夏の間ひっそりと展示されるのみで、
長い間世間から忘れ去られた。

2012年にプラハで再び全作品が公開され、
そして今回はじめて全20作品が国外展示されるわけですが、
長い間忘れ去られていたこの作品がなぜ今、公開されるに至ったのか、
その辺の事情は会場や図録からはうかがい知ることができませんでしたが、
いずれにせよ、日本で「スラヴ叙事詩」が見れるのは極めて稀有なことであり、
この機会を逃せば日本でこの作品を見ることはもうできないかもしれない。
そのような想いからどうしても見ておきたかった。


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2017年3月31日

動物いっぱい愛いっぱい・愛媛県立とべ動物園【愛媛県砥部町】

空間デザイン / 環境デザイン

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愛媛県砥部町にあるとべ動物園に行ってきました。

子どもの時分はともかく、大人になってからは動物園という場所にはほとんど行かなくなった。
それが今回、この場所に行く気になったのは、
仕事の都合でちょっとした休暇がとれることになり、
この際だから近場で行ったことのないところに行っておきたい、と思っていたところに
久々に再会した知り合いがこの動物園に勤めているのを知ったことだった。


正直、動物を檻の中に閉じ込めて見世物にする動物園という場所はあまり好きじゃない。

しかし、食わず嫌いは良くない。
これは動物園という空間の存在意義について今一度考えてみる良い機会なのだ。


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2017年3月22日

残軀は天の赦す所・天赦園【愛媛県宇和島市】

空間デザイン

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馬上に少年過ぎ
世は平にして白髪多し
残軀は天の赦す所
楽しまずんば是を如何せん
(伊達政宗)

馬に乗って戦場を駆けた若かりし頃は過ぎ、
太平の世となり、自分の髪の毛もすっかり白くなってしまった。
戦禍を生き延びることができたのも、天が自分を赦してくれたからであろう。
ならば余生を楽しまなくてどうするか。


宇和島城に続いて愛媛県宇和島市の天赦園に行ってきました。
宇和島藩の七代藩主・伊達宗紀(むねただ、号:春山[しゅんげん])が1866年につくった隠居所です。
池泉回遊式庭園であり、昭和43年に「名勝」の国指定を受けました。
「天赦園」という名前は伊達政宗公が隠居に際し群臣たちに示した述懐の漢詩に由来します。

宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
天赦園のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。


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2017年3月21日

自然とともにある城・宇和島城【愛媛県宇和島市】

空間デザイン

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愛媛県宇和島市内にある宇和島城に行ってきました。


宇和島へは2014年に一年間、職業訓練校にほぼ毎日通いました。
お城のそばも何度も通ったけれど、結局中へ入ることは一度もなかった。
近くにあっても意識できないものってたくさんあるんだな。

宇和島は海のそばの街なので、基本的に平野地形なのですが、
お城は鬱蒼とした森山の中にある平山城です。
松山城と同じく街のど真ん中にこんな森があったのか、という驚きがあります。


築城は1601年、藤堂高虎によってなされました。
その後高虎は今治に転封となり、今治城も築いています。
高虎転封後は伊達政宗の長子秀宗が1615年に入城、
二代宗利の時に天守以下城郭の大修理が行われ、1671年に完成、
その姿を現在にとどめています。

宇和島城の天守は松山城天守とともに現存する12天守のうちの一つであり、
県内に現存天守が2つあるのは愛媛県だけ。

愛媛県はこの2つのお城をもっと誇っていいと思う。


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2017年3月13日

愛媛県総合科学博物館【黒川紀章|愛媛県新居浜市】

建築デザイン

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愛媛県新居浜市にある愛媛県総合科学博物館に行ってきました。
松山自動車道いよ西条インターチェンジから5分程度、自動車道そばの山中にあります。

メタボリズムの旗手の一人、故・黒川紀章設計により1994年(平成6年)にオープン。
巨大な幾何学図形のマッスの数々は圧倒的な存在感を感じさせる。
とくにエントランスエリアの巨大なガラスの円錐塔は、
ライトのグッゲンハイム美術館や、イサム・ノグチのモエレ沼のガラスのピラミッドなどとも共通する、
一種独特の哲学的な空間を構成している。

巨大な◯・△・□のマッス。
それは玩具の積み木のようでもある。
無機質で冷たい外観でありながら、
内部が子どもたちの笑顔で溢れているのは、
「つくるしあわせ」がそこにあるからではないだろうか。


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あかがねミュージアム(新居浜市総合文化施設・美術館)【日建設計JV|愛媛県新居浜市】

建築デザイン

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新居浜市のあかがねミュージアムに行ってきました。

中予に住む自分としては、東予方面はなかなか行くことがありません。
香川方面に出かけるときも素通りするだけでなかなか立ち止まることがない。

今回、愛媛大学地域再生マネージャ関連のフォーラムがここで行われる、ということで、
会場をネットで調べてたら、そのインパクトある外観に目が釘付け。
日曜日の朝、夜勤明けの眠い目をこすりながら車を走らせて現地に向かったのでした。


JR新居浜駅の駅前開発で2015年に開館。
設計は日建設計・トータルメディア開発研究所JV。
開放感あふれるV字状のファサードに赤褐色の銅板壁面がさらにインパクトを与えている。
別子銅山による銅産業で発展してきた新居浜にぴったりのデザイン。

...なんだけど。


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2017年3月 1日

生誕140年 杉浦非水 ~開花するモダンデザイン~展【愛媛県美術館】

ビジュアルデザイン / 展示・イベント

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愛媛県美術館で開催中の杉浦非水展に行ってきました。

1876年に松山に生まれる。
東京美術学校(現在の東京藝大)に入学し、日本画を学んでいたが、
洋画家の黒田清輝の指導によりアール・ヌーヴォー様式に見せられ、図案家へ転向。
卒業後は大阪の印刷会社、商船会社で図案家として活動、島根での図工教師、
東京の新聞社を経て、1908年に三越呉服店に夜間嘱託として勤務するようになる。
以後27年間、三越の嘱託デザイナーとして活躍。
教育関係では、日本美術学校図案科講師、帝国美術学校(現在のムサビ)図案科長を経て、
1935年、多摩帝国美術学校(現在の多摩美)の初代校長に就任。
日本における商業美術の先駆けであり、グラフィックデザインの礎を築いた人物の一人。

愛媛美術館は県出身である同氏の作品や遺品、資料等7,000点にも及ぶコレクションを有しており、
今回はじめてそのコレクションを披露する展覧会が開催されました。


移住者である自分としては松山出身、ということより多摩美の初代校長、ということに縁を感じるものの、
在学中は同氏のデザインについて学ぶ機会はおろか、愛媛に来てはじめて彼の名前を知ったくらい。

前回のウィリアム・モリス展と同様、モダンデザインの源流を学ぶまたとない機会と言えます。
大学を卒業する時点で自分はどうしても商業デザインへの道に踏み出すことができなかった。
遅すぎるスタートや生来の臆病心があったのもあるけれど、
4年間での大学での学びの中でデザインの魅力を知ると同時に、
どうしても消えないデザインの疑問点も見えてしまった。

デザインのあるべき姿とは。
デザインとアートの適切な住み分けとは。
デザインとエンジニアリングはどのようにコラボレートしていくべきなのか。
自分はどのようにしてデザインやアート、エンジニアリングと関わり、
活用していくべきなのか。

...デザインの原点を学ぶことで見えてくるものがあるのではないだろうか。



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2017年2月20日

戦禍を生き延びたカオス建築・今治ラヂウム温泉【愛媛県今治市】

建築デザイン

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愛媛県今治市の今治ラヂウム温泉に行ってきました。
2016年に今治市の建造物としてははじめて国の登録有形文化財に指定された建物です。

3階建ての建物で、1階がラヂウム温泉、2階がバレエ教室、3階が青雲閣というホテルと
なっているのですが、2014年にラヂウム温泉が休業となり、
現在は利用されていない状況なのですが、歴史的価値を活かして再建を目指したい、
という所有者と有志の方々の働きかけで見学会が開催される、というのを
facebookでたまたま知り、急遽お邪魔してきました。

とはいうものの、戦前の一次資料が少なく、設計者や建設者などの詳細資料が乏しく、
現在建築家や文化財保護の専門家を中心に調査が進められているのだとか。

地元の材木商で財を成した所有者の祖先により建造、
建設されたのは大正8年〜昭和2年の間と幅がありますが、
仮に大正8年の時点で建っていたとすれば、
松山でもっとも古いRC建築である木子七郎設計の萬翠荘よりも古い建物になります。

設計者はオランダ人建築家らしい、というところまでは分かっているようで、
建築に詳しい方の話によれば、
オランダの近代建築の父と呼ばれているベルラーヘの作風に似ているそうです。

第二次世界大戦の今治空襲にも耐え、
一時は軍の施設として利用されていた時期もあったとか。
建物は最初RC2階建だったものを、
後に鉄骨造の3階部分と現在のバレエ教室部分が増築されましたが、
それによって建物外観はよりカオス感が増し、独特の雰囲気を醸し出しています。


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2017年2月19日

かつての日本屈指の海城・今治城【愛媛県今治市】

空間デザイン

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今治城に行ってきました。

今治城は藤堂高虎が関ヶ原の戦いの戦功に伊予半国20万石を拝領し、
1602年に築城を開始、1604年〜1608年に完成させました。

枡形虎口による鉄御門の強固な守り、
堀を二重三重に巡らせて、瀬戸内海の海水を引き入れて、
船が城郭まで入れるようになっていた日本屈指の海城でした。

Wikipediaによれば、築城当時に天守が建造されたかどうかの一次資料がなく、
その存在については諸説あるそうで、
現在の天守は1980年に多門櫓、武具櫓とともに再建された史実に基づかない模擬天守です。
その後1985年に御金櫓、1990年に山里櫓、そして2007年に鉄御門が再建されました。

現在は二の堀、三の堀は埋め立てられ、本丸と二の丸・三の丸を囲む堀のみですが、それでもこの壮観さ。

往時はさぞかし圧倒的だったことでしょう。
返す返すも廃城令という残念な施策が悔やまれます。


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2017年2月 8日

Loving Vincent

アート

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  Loving Vincent


もしもゴッホの絵が動いたら...

そんなコンセプトで作られている映画があります。
2016年中には公開予定だったみたいですが、
なにせ1秒の動画に12枚の油絵が必要で、80分の作品に仕上げるという
途方もなく労力のかかる作業のため、どうも完成が遅れているようです。


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