2017年8月27日

石手寺2・上段【四国八十八ヶ所霊場:第五十一番札所】

空間デザイン

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四国八十八ヶ所霊場第五十一番札所、熊野山 虚空蔵院 石手寺。

現在の境内はさほど広いわけではないのだけど、
盛りだくさんすぎるので3つのパートに分けます。

本記事では、下段部から上がってきて上段部をご紹介。


本堂の裏側には洞窟があり、その奥にはさらに奥の院があります。
ただ、本堂に来るまでにもうたくさんありすぎてついつい見過ごしがち。
(自分は最初見過ごしてしまいました^^;)

しかし、この本堂の奥にこそ石手寺ワールドの醍醐味が潜んでいるのです。



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2017年8月26日

石手寺1・下段【四国八十八ヶ所霊場:第五十一番札所】

空間デザイン

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四国八十八ヶ所霊場第五十一番札所、熊野山 虚空蔵院 石手寺。

時は奈良時代、伊予の豪族・越智玉純が霊夢により熊野十二社権現を祀ったのを機に、
聖武天皇の勅願所となり、行基が薬師如来を刻んで本尊に祀って開基した。
この時の寺の名前は「安養寺」であった。
平安時代に衛門三郎という長者がいた。
ある日、托鉢の僧を弘法大師と知らずに托鉢をとり上げ投げつけたところ、鉢は八つに割れた。
以後三郎の八人の子どもがことごとく死んだ。
三郎は改心し、大師を探して四国巡拝の旅に出るが、出会えぬまま病に伏してしまう。
その時、枕元に弘法大師が現れ、「衛門三郎」と刻んだ石を授けると、
三郎は安堵して息を引き取る。
ちなみにこの時の巡礼旅が四国遍路のはじまりであり、衛門三郎はその開祖とされています。

その後、地方豪族の河野息利に男子が生まれたが、右の手を握ったまま開かないので
この寺に願をかけたところ、手の中から「衛門三郎」と刻まれた石が出てきた。
そこでこの石を当山に収め、寺号を安養寺から石手寺に改めた。


...由来を聞くだけでもなかなか奇妙な感じのお寺ですが、その実態もなかなか。

それはまさにカオス。


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愛媛県最古の木造建築・大宝寺【愛媛県松山市】

建築デザイン

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愛媛県にある3つの国宝建造物はすべて松山市内にあります。
今回は松山総合公園の麓にある大宝寺に行ってきました。

残る二つの太山寺、石手寺のような四国八十八ヶ所霊場ではありませんが、
空海の興した真言宗系のお寺です。

古照山薬王院大宝寺。本尊は薬師如来。
飛鳥時代の大宝元年(701年)に小千(越智)伊予守玉興により創建。
現在残っている本堂が平安末期の阿弥陀堂形式を用いて鎌倉時代の建立で、
愛媛県最古の木造建造物であり、国宝建造物に指定されています。

松山市のほぼ中心部にありながら周囲は閑静な住宅街であり、
境内もそれほど大きくなく、併設されている住職の邸宅のほうが立派に見えるくらい、
簡素ですっきりした構成でした。
お遍路巡りの寺に指定されていないこともあってか、参拝者は自分以外に誰もなく、
ひっそりとした雰囲気でした。

まあ、自分はお寺のそういう雰囲気が好きなのだけど。


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2017年8月20日

太山寺【四国八十八ヶ所霊場:第五十二番札所】

空間デザイン

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松山市太山寺町にある太山寺に行ってきました。

創建は飛鳥時代、開基は真野長者。
ある時、長者が商いで大阪に向かう途中、嵐に遭難。
そこで観音様に無事を祈願したところ、高浜の砂浜に無事流れ着く。
この報恩に、と一夜にしてこのお寺を築き上げた、という伝説が残っています。

鎌倉時代に創建された本堂は、桁行七間、梁間九間、屋根は入母屋造りの本瓦葺で
全国屈指の規模を誇り(県下最大)、国宝に指定されています。
ちなみに愛媛県ではこの太山寺本堂と石手寺仁王門、大宝寺本堂の3つが
国宝建造物に指定されています。

長い年月風雪に耐え抜いてきた屋根は独特の重みというか迫力を感じずにはいられない。


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2017年8月19日

世界が絶賛した海中芸術 伊東昭義展【ミウラート・ヴィレッジ】

アート / 展示・イベント

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ミウラート・ヴィレッジで開催中の伊東昭義展に行ってきました。

伊東昭義氏のことは全く知らなかったのですが、
テレビのCMで流れてるのを見て、
そう言えばかねてより訪れたいと思っていたミウラート、まだ行ってないなあ、と。


ミウラート・ヴィレッジ(三浦美術館)は三浦工業グループの創業者三浦保氏が1998年に設立。
三浦氏自身熱心な芸術家であり、茶陶をはじめとする陶芸において独自の境地を開拓し
「ミウラート」と呼ばれる独自の陶板画に到達しました。
美術館外壁及び中庭にはこの三浦氏の「ミウラート」を中心とした作品群が常設してあります。

美術館の設計は長谷川逸子氏。
地上に平行に置かれた二つの直方体の上にさらにもう一つの直方体を垂直に配した
独特のデザインはホキ美術館を彷彿とさせます(ホキほど曲線性はないですが)。



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2017年8月 1日

培広庵コレクション「美人画」は語る【愛媛県美術館】

アート / 展示・イベント

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愛媛県美術館で開催中の培広庵コレクション展に行ってきました。

本展は培広庵コレクション75点に、
地元八幡浜出身の閨秀画家、河崎蘭香の作品15点を加えた全90点の美人画展です。

これだけの規模の美人画展を見るのははじめてです。
正直なところ、
美術館に行きだした当初は日本画、特に美人画はあまり好きなジャンルではありませんでした。
写実的で立体的・三次元的の西洋画のほうがはるかに魅力的に見えていたのですが、
最近では二次元の美人画も悪くはないな、と思えるようになってきました。

それが加齢による趣味の変化なのか、
たくさんの絵を見ることで良い絵に出会える確率が上がってきたのか。
たぶんその両方なのでしょう。

浮世絵の延長線上にあるようなデフォルメされた二次元の絵は、
ある意味現代アニメの原点のような気がします。
直接的なエロスを表現する、というよりは「仕草」で女性らしさを表現する。
そこに日本独自の美しさがあるのではないでしょうか。

それにしても謎多きコレクター、培広庵。
ネットで検索すると、コレクションの企画展の情報はたくさん出てくるのですが、
コレクター自身の情報はほとんど見つからない。
培広庵の読み方すら分からない。
(単純に音読みすれば「ばいこうあん」なんでしょうが)

彼のコレクションを常設展示する美術館はなく、普段は彼の自邸に置いてあるみたいですね。
(会場に自邸の写真が展示してありました)


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2017年7月28日

咲くも無心、散るも無心。花は嘆かず、今を生きる。【夏の花】

環境デザイン

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早いものでもう7月も終わりです。


夏本番となり、戸外に立っているだけでも汗が吹き出て、
ウォーキングには厳しい季節がやって来ました。

前回、晩春から初夏の花を紹介してから早2ヶ月が経ちますが、
夏に入ってもインスタには花の写真が続いております。

というわけで、本格的な夏に入って伊予の街並みで見かけた花の数々をご紹介。


※タイトルは詩人・坂村真民の言。


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2017年7月12日

新居浜が生んだジブリの動画家 近藤勝也展【新居浜市美術館】

アート / 展示・イベント

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新居浜市美術館(あかがねミュージアム)で開催中のジブリの動画家・近藤勝也展に行ってきました。

近藤氏は新居浜市出身で、「天空の城ラピュタ」からジブリのアニメーション制作に
原画や作画監督、キャラクターデザインとして参加、
その後もジャンルに囚われず活躍されているジブリの「動画家」。

本展は新居浜市市制施行80周年記念事業の一貫で開催されるもので、
新居浜市出身の近藤氏は新居浜市の観光大使でもあります。
スタジオジブリ全面協力のもと、500点を超える作品が公開されています。


過去に二度、ジブリアニメの展示に行ってます。
一度目は2007年の東京都現代美術館で開催されたジブリの背景職人・男鹿和雄さんの展示
二度目は昨年愛媛県美術館で開催されたレイアウト展
三度目の本展はどちらかといえば、人物描写にスポットを当てているといえます。

三度の展示に共通していることは、
セルになる前の、動画になる前の原画の数々は、美術館で展示するにふさわしい芸術品だということ。
セルにするか、額縁に入れるか。
その選択によってアニメはエンターテインメントになるか、芸術品になるかが決まる。
もちろんどちらも悪くはないけれど、
悠久の時に立ち向かうには、前者では少々役不足のような気がするのは自分だけだろうか。


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2017年6月27日

黒壁の美しい仏殿城【川之江城|愛媛県四国中央市】

空間デザイン

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四国中央市の川之江城に行ってきました。


南北朝時代から戦国時代にかけての城であり、江戸時代にはすでに廃城となっており、
昭和の終盤まで本丸付近の石垣にわずかにその名残を残す程度だったそうです。
当時の川之江市制施行30周年記念事業として城の再建が計画され、
昭和59年より昭和63年にかけて城山公園整備事業に着手し、
天守・涼櫓・櫓門・隅櫓・控塀を順次復元させました。

武運長久を祈願して仏殿・仏像が城内に設置された仏閣でもあったため、
「仏殿城」とも呼ばれたそうですが、現在の姿は必ずしも史実に沿った復元ではないそうです。

今回は到着した時間が閉場時間間際だったため天守の中に入れず、
外観を眺めるだけでしたが、予想以上になかなか立派なものでした。


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2017年6月25日

日本一高い石垣に日本一小さい天守の城【丸亀城・香川県丸亀市】

空間デザイン

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丸亀にガラスのヒマワリを見に行ったついでに。

石垣の名城・丸亀城に行ってきました。
標高66メートルの亀山に築かれた平山城で別名・亀山城。
創建は豊臣政権下に生駒親正による。
現在の城郭は親正・一正親子二代により1602年に完成された。
現在に残る石垣は山崎氏、天守は1660年に丸亀藩主となった京極高知により完成された。
つまり丸亀城は生駒・山崎・京極の三家にわたって築城されていったもの。

天守は日本に12しかない現存天守であり、
四国内では最も古く、日本一小さな現存木造天守です。
...とパンフには書いてあるのだけど、
Wikipediaでは弘前城天守が14.4メートル(丸亀城天守は14.5メートル)で最も小さい、
とありました。...現存天守はすべて木造だよね?どちらが正しいんだろ。

一方、立派な石垣は4重に重ねられたその高さは60メートルにもなり、日本一の高さを誇ります。
(単体では大阪城の30メートルが日本一の高さ)


日本一高い石垣に日本一小さい天守。
なかなかインパクトのある組み合わせではないですか。

さらにこの城にはもう一つの日本一があるのです。


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