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2010年11月 8日

没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった【国立新美術館】

アート/ 展示・イベント

847px-Self-portrait_with_Felt_Hat_by_Vincent_van_Gogh.jpg
[灰色の帽子の自画像(1887年)](出典:Wikipedia)


国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。


卒業制作の最後の追い込み前の景気づけに。
ちょうど西洋美術史の授業でも取り上げられたこともあり。

中村先生の授業の中でも、取り上げられることの多かった画家の一人。

画家として活動したのはたった10年。
27歳という遅いスタートながら独学で、彼独自の画風を確立するも、
生きている間に売れた絵はたったの1枚。
2ヶ月間の共同生活の末の悲劇とともにゴーギャンと並んで
情熱の画家、炎の画家と並び称された天才画家。

...ゴッホの一般的なイメージはこんな感じだろうけど。


彼は決して天才肌ではなかった。
初期の地道な努力の積み重ねが晩年に一気に花開いた。
限りない孤独が彼の感性を極限まで高めてゆき、晩年に一気に爆発した。
そしてそのまま彼は散っていった。


今回の展示は晩年の傑作は少なく、正直もの足らない部分もあった。
正直ゴッホの初期の作品は凡庸でぱっとしないものが多い。
だけど、晩年の見事な作品群に結実するものがここにはある。

晩年が黄色を基調とした鮮やかな色彩なのに比べて初期の作品は驚くほど暗い。
ミレーの影響にはじまり、新進気鋭の印象派、新印象派のテクニックを取り入れ、
浮世絵におけるジャポニズムで色彩に目覚めた。

古今東西の別なく貪欲にチャレンジし、自分のものにしようとした。
ドガがデッサンなら、ゴッホは色彩。
印象派の控えめなタッチから自ら主張するタッチへ。
絵画を目に見える世界から目に見えない世界へと導いた。


それでも彼が生きた時代は彼を認めなかった。
時代が彼に追いつかなかった。
天才の悲しい宿命を背負ったまま、彼は孤独のうちに死んだ。


仲間を持つことは大切だ。
しかし自分の世界を持つことはもっと大切だ。
自分の世界を知らずして生きることほど、人として不幸なことはない。

...ゴッホはそれを教えてくれる。



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平井堅のイメージソングでメディアが大々的に宣伝しているだけあって、
会場は激コミ。
だけどまあ、美術館通いも4年重ねれば、こうした混雑にも慣れてくる。
遅々として進まない行列に加わりながらも、それなりに鑑賞を楽しめました。


今回の展示作品。

[じゃがいもを食べる人々(1885年)]
okm_goph4.jpg

(画像は大塚国際美術館の陶板画)

初期の代表作。
晩年とはうってかわって暗い色彩。
しかし人々の「生きるエネルギー」はこの頃からすでに描かれていた。

会場に展示されていたのはリト版でした。
地味な絵がますます地味に。
やっぱ油のほうがいいなあ。



[籠いっぱいのじゃがいも(1885年)]

意外と良かった静物画。
塗り重ねられた絵の具で光るじゃがいもが質感を感じさせる。
下手な3Dよりよっぽどリアル。



[白い帽子を被った女の頭部(1885年)]

「じゃがいもを食べる人々」の中に登場しそうな女中。
顔の陰影に生きることの厳しさ、たくましさを感じさせる。



[鶏に餌をやる女(1883年)]

「白い帽子を被った...」とは逆に穏やかな生活の静謐さを描いた1枚。


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[種蒔く人(1888年)](出典:Wikipedia)

ミレーの影響を受けて描いた作品の代表作。
神の言葉を種蒔く人。
意外と小さかったな。


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[アルルのフィンセント寝室(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

アルル時代の代表作。
会場にはこの絵の部屋が発見された図面を元に再現されていました。
意外と狭い。


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[ゴーギャンの椅子(1888年)](出典:Wikipedia)

画家同士の共同体を夢見て用意したアルルの黄色の家。
しかしそこにやってくるのはゴーギャンただ一人。
そのただ一人の同志のために用意した立派なイス。

しかし二人は相容れず。



[サン=レミの療養院の庭(1889年)]

ゴーギャンとの共同生活はかの耳切事件により終止符が打たれる。
そして精神を病んだゴッホはサン=レミ療養院に入院。
次第に冒されていく精神。
しかし病の度合いに同調するがごとく冴え渡る筆致。


VanGogh-Irises_3.jpg
[アイリス(1890年)](出典:Wikimedia)

晩年の傑作の一枚。

この絵を描いたおよそ2ヶ月後、
オーヴェール=シュル=オワーズの麦畑の近くでピストル自殺を図り、
弟テオに看取られながらその生を終える。

「カラスの群れ飛ぶ麦畑」、そして絶筆「荒れ模様の空と畑」を描き上げて。


ゴッホはいかにしてゴッホになったのか?
...そんなことは正直どうでもいい。
ゴッホは生まれたときからゴッホだ。
ただ、彼は自分を表現し続けただけだ。


ネットワークだの、コミュニケーションだの言う前に、
自分の世界を持て。
それがなければ何も伝わらない。

人は知識や技術に感動するのではない。
誰も持ち得ない、独特の世界観に感動するのだ。
誰もが独特の世界観を持っているはずだ。
しかし多くの人はそれを表現しようとしない。
エゴはあってもそれが独特なものだ、という自覚がないから。
人間にはエゴしかないのに。

感覚を通してエゴの中に「情報」が入ってきて、
エゴの中から「表現」が出力される。

それが生きるってことなんじゃないのか。


ゴッホのように表現したい。

孤独を恐れるな。
表現することを恐れるな。


P.S.
図録がゴーギャン展の時と同じ黄色なのが印象的でした。

zuroku_gogh.jpg
[図録(通常版)2200円]

gogh_guide.jpg



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