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2011年2月22日

第19回多摩美術大学上野毛デザイン展...終了!

展示・イベント/ 学業

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3日間の展示も、無事つつがなく終了。

自己評価としてはとても満足のいくものだった。
やりたいことをやった結果を認めてくれる人たちがいた。
今は、それで満足。

だって、やっとスタート地点に立てたのだから。


3年前、八王子の卒制展を見に行ったとき、
その感想をこのブログでやや批判的に書いた。
そして開催関係者と覚しき人物から反論のコメントが来た。

そのときの記事を読み返してみたけれど、
今でもそのとき述べた僕の気持ちに変わりはない。

だけど反論した学生の気持ちが、同じ立場となった今はよく分かる。
しかし、その共感は僕自身の「甘さ」である。


しかし。

その「甘さ」が僕を僕たらしめている。



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僕の隣に展示した学生は、鑑賞者に積極的にアプローチして、
熱心に作品を説明し、体験してもらい、
より多くの客とのコミュニケーションを図ろうと努力していた。
とても良い展示だったと思う。


一方、僕はといえば。

鑑賞者に積極的に話しかけることはあまりしなかった。

説明員からガイドを受けて情報をインプットしていくことで
作品を理解していく過程は明快で、とても分かりやすい。
しかしそれ故に、鑑賞者の「感覚」機能はそれほど使われていない気もする。

鑑賞者が自発的に作品と向き合い、
外部の雑音に邪魔されることなく自己の感覚機能を使って「感じる」。
そんな風に作品と静かに向き合ってほしかった。


世の中が便利になりすぎる、というのはいかがなものか。

それは機能の遂行を自己の外部が担うようになることであり、
それ故に自己の内部の機能が必然的に退化していくことである。

外部が永遠に機能していくうちは問題はない。
しかしどんなに人間が進化しても、そのような世界は実現できない。
そして外部の機能が麻痺したり消滅してしまったとき、
本当の危機が訪れるのである。


今回、実際に展示してみて、展示の現場に立ち会うことによって、
ヒトの感覚機能の大切さを思い出してもらうことが、
自分が展示に取り組む目的だったのだとあらためて気づかされた。

あえて作品に「機能」を付与せず、「かたち」から本質を感じて欲しかった。


やはりこれはデザインの領分ではないのだろうか。
アートの領域なのか。


今回の展示用に追加作成したモックアップ。

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特に強く意識してたわけじゃないけれど、
思い返してみると、入学したときから一貫して「かたち」へのこだわりが
あったように思う。

それで一年生からの作品も展示してみた。

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[pointing chair]

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[UNEXPECTED FIN]

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[マウスブラシ&香水瓶]

概ね好評で、鑑賞者も違和感なく受け入れてくれていたように思う。


さあ、祭りは終わりだ。

「学生」は一時卒業しなければ。


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