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2009年1月 7日

「私の家」白書【清家清】

建築デザイン/ 読書

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去年1年間、八王子キャンパスで構造デザインの授業を受けました。
そのときの先生が清家清さんの教え子で、
授業で氏の作品を紹介されたのが氏を知るきっかけとなりました。

そのときは彼の建築についてはあまりピンと来なかったのですが、
同級生がこの本を別の先生から薦められた、
というのを聞いて僕も読んでみることにしました。


戦後の荒廃した日本。
否応なしにアメリカ文化が日本に押し寄せ、古き良き日本が失われてゆく。
そんな中、西洋の合理主義を取り入れつつ、
かつての日本文化を取り戻そうとした建築家。


それが清家清という建築家だった。



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[『私の家』]



[斎藤助教授の家]


東京美術大学(現在の藝大)の建築科を卒業後、
東工大の建築学科に入学、
卒業すると海軍で飛行機の格納庫を設計、
戦後、建築家として本格的にスタート。


代表作は、
森鴎外の息子の自邸「森博士の家」、
「齋藤助教授の家」「宮城教授の家」、
そして「私の家」「続私の家」「倅の家」の自らの自邸シリーズ。

本書を読む限り住宅専門の建築家なのかなと思いましたが、
Wikipediaをみるといろいろ建ててるようです。

本書では述べられていませんが、
八景島のシーパラも設計してるんですね。

美術系と技術系の両方の大学を出ていることに加え、
コルビュジエの影響を少なからず受け、ユニテ・ダビタシオンを訪れ、
モデュロールを自分の建築に取り入れてる点、
当時は軽視されがちであった住宅の「構造」要素を重要視している点に共感した。


本書では「戦後小住宅の半世紀」というサブタイトルが示すように、
住宅にスポットをあてて解説されています。

著者が清家清、というのではなく、雑誌などメディアでのインタビューや対談、
関係者のレポートなどをひとまとめにしたもの。

氏の長男・篤氏との対談が面白かったな。
建築家と経済学者との対話。...じつに興味深い。
「経済」という言葉は「経世済民-世を治め、民を救う」という意味の
福沢諭吉による造語だったんですね。


清家清の建築の特長を一言で言うならば、「シームレス」ということでしょうか。
平屋のワンルーム。
基本的に部屋は仕切らず、トイレにさえも壁はない。
さらに屋内-屋外でさえ繋ごうとする試み。


正直実用性、という面では全く問題がないわけではない。
壁のないトイレなんてどう考えても実用的じゃないし、
屋内-屋外をシームレスに結ぶための石畳も
屋内の土足文化がない日本においては馴染まない。

それでもなんかステキなんだな。
移動式の二畳畳も苦肉の策なんだろうけどモダンなんだな。


二十世紀は合理主義による分業化の時代だった。
産業、組織、なんでもかんでも分業した。
建築も例に漏れず、台所にリビングに、寝室、書斎と分離した。

分業化は一見良いことだらけのようだけど、そうじゃないってことを
21世紀になって人々はようやく見直しはじめた。

そんな時代において、
清家清の建築に出会えたことはけして偶然じゃない気がする。

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
 久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」
 (『方丈記』冒頭)

かつて日本人は1つの空間を時間の流れるままに対応した。
客が来れば座布団を出して客間となり、
食事時にはちゃぶ台を出して食堂となり、
寝るときには布団を敷いて寝室とした。

これを本書中では「舗設(しつらえ)」と表現していましたが、
この言葉は「ホモジニアス(均質)な空間」というキーワード共に
氏の建築哲学の中核を成すものではないでしょうか。

徒に部屋数や広さを大きくとるのが良い建築ではない。
状況に応じて適材適所しつらうことができる空間をもつ建築が理想なのだと。


工夫の極みを尽くしたならば、
究極の空間は方丈(四畳半)で事足りるのではないでしょうか。
それは禅の精神を取り入れた茶室の理想にも反映されています。


「技術に秩序を与え、統一的な状態にもっていくのが、建築家の仕事なんです。」


...はたして自分はどんな秩序を与えられるのだろうか。



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