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2009年12月 3日

連戦連敗【安藤忠雄】

建築デザイン/ 読書

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自分が一番最初に知った建築家、それが安藤忠雄だった。
名前が同じ「忠雄」ということで勝手に親近感を感じたりしてた。

...でも、どこかで彼の建築を敬遠していたような気がする。
この本も早くから知っていたけど今の今まで読まずにきた。

メジャーなものへの敬遠。
それはただの天邪鬼なのかもしれない。
一方でメジャーなものは分かりやすい反面、賛否両論が多すぎて、
その真価を見極めるのが難しい、という警戒心もあるかもしれない。

でも、やはり敬遠していては永遠に真価を知ることもない。


...というわけでようやく読みました。



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[フォートワース美術館]


タイトル通り、コンペでの連戦連敗の記録。
世界のANDOといえど、常に勝っていたわけではない。


京都駅改築(原広司)、
レイナ・ソフィア美術館(ジャン・ヌーヴェル)、
ネルソン・アトキンス美術館(スティーブン・ホール)、
テートモダン(ヘルツォーク&ド・ムーロン)、
パリ原始博物館(ケ・ブランリ美術館)(ジャン・ヌーヴェル)、
在東京ドイツ大使館、
セント・ポール寺院フォント(洗礼盤)デザインコンペ、
宇都宮・大谷地下劇場プロジェクト(実現せず)、
ローマ司教区教会(リチャード・マイヤー)...

※()内は実際に設計した建築家


数えきれない敗北の上にある栄光。
それはよくあるサクセスストーリーなのだけれど、
意外だったのは、本書が無名時代の苦労話ではなく、
住吉の長屋以降、ある程度有名になってからの物語であったということ。

成功してなお、負け続けなければならない厳しさ。
それは隈研吾同の「負ける建築」同様建築界の厳しさを説くものだった。


数えきれないほどの"敗退(まけ)"を体験してきた。コンペ(設計競技)に挑戦しては落選をくり返している。まさに連戦連敗、さすがに懲りてもう終わりにしようかとも思うのだが、誘いがかかるとついまた挑戦したくなる。次の闘いへと意識は飛躍してしまう。今も連敗記録を更新中である。どれだけ力を尽くしたところで、大抵の場合は報われない。だが、挑戦は決して無駄ではなかったと思っている。建築に関わるさまざまな事象に思いをめぐらせ、その可能性をただひたすらに追い求める。コンペは自らの思う建築、即ち自分自身を発見し、追求する絶好の機会だ。創造という行為があるとするならば、この思考の蓄積こそが、唯一それを可能にする手立てとなるのではないか。モノをつくる、新たな価値を構築するという行為の大前提が、この闘い、挑戦し続ける精神にあるように思う。...(中略)...巨匠といわれるル・コルビジェやルイス・カーンでさえも、決して人生の始まりから日の当たる道を歩んできたわけではなかった。若き建築家の意欲的な試み、斬新な提案を、社会は容易に受け入れはしなかったからだ。こうした状況は21世紀を迎えた今もそう変わってはいないのかもしれない。大抵の人間は、この苦難のときを耐えきれずに終わってしまう。しかしル・コルビジェもカーンも、決して諦めなかった。妥協して生きるのではなく、闘って自らの思想を世に問うていく道を選んだ。与えられるのを待つのではなく、自ら仕事をつくりだしていこうとする、その勇気と行動力こそ、彼らが巨匠といわれる所以なのである。私は私なりに、建築との戦いを続けている。これから社会に出ていこうとする学生達も覚悟しておいた方がよい。建築家とは厳しく、困難な生き方だ。自らの思い通りに事が進むことなどほとんどない。日々、闘いである。だが、だからこそ建築は面白い。信念をもって、それを貫くために闘っていきていく-これほど"自分"を頼りに生きていくことのできる職業はないのだから。(あとがき)

元ボクサーらしい言葉である。
建築家の言葉にしては珍しく、本書はとても読みやすい。
「負ける建築」が徹底して客観的で常体文であるのに対し、
本書は徹底して主観的で敬体文であるのが対照的。
それだけにちょっと凡庸で、物足りない気もしなくはないけれど、
やはりそこにはエッセンスが詰まっている。

なぜ、打ちっぱなしのコンクリートに拘るのか。
なぜ、直線的な幾何造形に拘るのか。

分かりやすい文章で述べられているのだけど、いまいちピンとこない。
たぶん言葉で理解するものではないのかもしれない。
これだけ有名でありながら、僕はあまり安藤建築を訪れていない。
表参道ヒルズと21_21くらい。
大阪に拠点を置いているだけに東京では意外と安藤建築は少ないし。

本書の最後に登場する「勝った仕事」であるフォートワース美術館。
隣接するルイス・カーンのキンベル美術館とあわせていつか訪れたい。


大学で正規の建築教育を受けていなくても、
確固とした建築哲学を持ち、これほどの建築を創ることができる。
それはセンス、というよりも不屈の精神に拠るところにあるように思える。

デザインをするにはセンスが必要だとデザインの外にいる人はいう。
でも、大学に入ってデザインの中にいる人の言葉を聞くと、
大抵の人間は食っていくだけのセンスは持ち合わせている、という。

もちろん天性のセンス、というものはあるだろう。
でもセンスは直訳すれば「感覚」だ。
感覚はだれにでもあるし、磨けば光る。
その大小の差こそあれ、磨き続けることが重要であることは万人に言える。

磨き続けるには、粘り強い根気が必要なのは言うまでもないけれど、
磨き続けることで得られる価値を信じることが必要だ。

そのために人は学び、体験する。
それは大学であったり、グランツアー(旅)であったり。

安藤さんがそうだからと言って、
大学の建築教育は無意味だと短絡づけるつもりもない。
逆に大学の建築教育により世に素晴らしい建築を生み出した建築家の方が
圧倒的に数は多いのだから。


若い頃、グランツアーに出損ねた僕は今、
圧倒的なハンデを負っているのかもしれない。
そして臆病であることもハンデになっていることだろう。

道は険しく、遠い。
しかし自分の道は"こっち"の方に向いている気がする。



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