「アルケミスト」「ベロニカは死ぬことにした」「星の巡礼」「11分間」に続く、
パウロ・コエーリョ5冊目。
「アルケミスト」では「前兆」を。
「ベロニカ」では「狂気」を。
「星の巡礼」では「旅」を。
「11分間」では「性」を。
...そして本作では「悪」という本質について語る。
自分が売り歩いた兵器で愛する妻と娘を惨殺された異邦人は、
人間の本質は悪である、ということを確かめるために、
悪魔を伴い、とある田舎町を訪れ、
最初に出会ったシャンタール・プリン嬢に恐るべき計画を持ちかける。
はたして小さな田舎町、ヴィスコスの運命やいかに?
はたして人間の根源は悪なのか?善なのか?
人間は生まれながらにして善であり、悪である。
性善説と性悪説は表裏一体である。
「美」を学べば学ぶほど、宗教へと近づく。
「信じる」という行為が力を生み、美を醸し出す。
東洋も西洋も、宗教建築はなぜにかくも美しいのか。
自分は神を信じる。
特定の宗教の神ではなく、「完全な存在」としての神を。
神は人間に何かを与える存在ではなく、
不完全な自分に対峙する存在である。
神を意識することで、人間は自分を信じることができる。
神の完全さを知ることで、人間の不完全さを知る。
神の秩序を知ることで、人間の持つ矛盾を知る。
同様に悪を知ることで、善を知ることができる。
悪を知らないものに善を行うことなどできない。
子どもは悪を知らないから善も行えない。
人は人生を生きて、何を選び、何を捨てるべきかを学ぶことで、
善を行えるようになる。
しかしそもそも、善とはいったい何なのか。
悪とはいったい何なのか。
「何かを手に入れようと思ったときにはいつでも、目をしっかり開いて、集中して、自分が何を望んでいるのか正確に知っておくことが必要なんです。目を閉じていて標的にあてられる人はいないのです」(P69)
人は手に入れることのできるものしか望まない。
遂行できることしかやりたいとは思わない。
それができないのは、なにをやりたいのかが見えてないからだ。
だから自分を知る必要がある。
自分を知るために、他人を知る必要がある。
神にすら地獄がある、それは人間に対する愛だというのなら、どんな男にもすぐ手の届くところに地獄がある、それは家族に対する愛だ。(P87)
愛とは、自分以外の誰かのために何かを与えたい、という気持ちである。
神が持つ「究極の愛」は無限の無償の貢献。
限りなく自分のためにならない神の愛の苦しみはいくばくか。
愛とは、快楽ではなく、苦しみなのか。
神が公正なのかどうか、わたしにはわからない。少なくとも、神はわたしにはあまり力を貸してくれなかった。わたしの心が痛むのは、その無力感のせいなのよ。自分が善人になりたいと思ってもなれない、悪人になる必要があると思ってもなれない。(P148)
問題は偏りではなく、中途半端であることである。
偏りは個性となる。
どんな属性かもはっきりしない、どちらへ向かうのか方向性が見えない、
どっちつかずの浮遊状態。
それこそが究極の「悪」である。
彼にあたえられているものはすべて恩寵によるものであって、彼の善行に夜のではないことを示すためです。私たちは、自分たちが善であると誇る罪を犯しているのです-だからこそ、罰を課せられているのです。...(中略)...『誰も良き者などいない』と主は言われました。誰もいないのです。神に反して善良さのそぶりを見せておくのはもうやめ、私たちの欠点を受け入れようではありませんか。(P157 )
何かを得ることが善行なのではない。
何かを与えることが善行なのである。
何かを得るのに必要なものは「欲」であり、
何かを与えるために必要なものは「愛」である。
沈黙が「同意」を示すものとは限らないからだ-一般に、沈黙は人が即座に反応して行動できずにいることを示しているだけだからだ。誰か同意していない人がいた場合、その人物はやがて意に反することを受け入れてしまったことを悔やむようになり、それがどれほど重大な結果をもたらすことになるかははかり知れなかった。(P201)
沈黙にも「良い沈黙」と「悪い沈黙」がある。
強い意志を持った沈黙。
迷うがゆえの沈黙。
願わくば常に前者の沈黙をもって静かに時を過ごしたいもの。
与えることが「善」ならば、欲することは「悪」なのか。
欲とはエゴだ。
すなわち、自分のことばかり考えるのは悪なのか。
ひたすら自分の内部を見つめるこのブログは悪の塊なのか。
違う。
誰かに何かを与えたい、と願うからこのブログを公開しているのだ。
ただ欲するだけならば、ひっそりノートに記録すれば良いのだから。
そういう「日記」は長続きせず、「ブログ」は続いている。
自分はなにを与えられるのか。
それを考え実施することこそ「善」なのであろう。
それにしても物語の最後が納得いかなかったな。
労せず得たものなど、また労せず離れてゆく。
プリン嬢は黄金を手に入れるべきではなかった、と思うのは僕だけだろうか。
勇気に代償など求めてはならない。