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2009年9月 6日

FLUX STRUCTURE【佐々木睦朗】

建築デザイン/ 読書

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この本もなんとか夏休み終了前に読み終えました~

構造の大家、佐々木睦朗氏の著書。

お名前は前からちょくちょく耳にしていたのですが、
今回はじめて著書を読みました。

建築家独特の文章の難しさ、というよりは科学者、理論家独特の文章の難しさ。
それでもまあ建築家の文章よりはすっきりしてて比較的読みやすかったかな。

八王子での「構造力学」の先生が佐々木氏の下で仕事をしていたこともあって、
その仕事、作品についてもいくつか予備知識はありました。

せんだいメディアテーク金沢21世紀美術館、フィレンツェ新駅など。



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[フィレンツェ新駅(意匠設計:磯崎新)]


本書はまず空間構造の歴史を概略的に解説した後、
実績作品を紹介しながら氏の構造デザインに対する想い、考えをが述べられ、
ひいては今後の構造デザインが向かうべき道まで丁寧に解説されています。

過去から未来までを順を追って丁寧に解説されているので、
難しい理論はともかく、構造デザインの流れが把握しやすいです。


まずは構造デザインの出発点。

建築における構造の目的は、人が安心して休息や活動のできるような空間を物理的に構成することである。具体的には、建築的機能(有用性、快適性などの空間性能)と構造的機能(安全性、耐久性などの構造性能)を満たすこと、経済条件(コスト)に従うこと、生産技術と建設方法を考慮すること、造形的・美的な要素を考慮することなどである。これらを念頭におき、まず建築家との対話を通して対象とする建築の共通目標(コンセプト)を明確にし、お互いに合意することから構造はスタートする。

やはりまずは建築家の意匠デザインありき、という感があるのですが、
そうするとやはり自分は純粋に構造デザインがしたい、というわけでもなさそう。
数学が苦手、というのもあるし。

構造を強く意識した意匠設計が自分はしたいのだと思う。


構造と自然。

自然には構造の秩序や美に関連して対照的な2つの側面が認められる。つまり、自然は私たちにひとつの興味深い事実として、自然の美には曖昧で複雑な美と明快で単純な美がともにイーブンに存在することを示しており、建築の構造美にも同様の可能性が存在しうることを示唆している。重要なことは自然の形の単なる模倣ではなく、自然の構造形態を創るプロセスとメカニズムである。また形態デザインの視点から言えば、自然の構造が示すように建築の構造美には単純で明快な美と複雑で曖昧な美がともにイーブンにありうるということである。要するに、形態が単純であるか複雑であるかは建築の構造美にとってはどうでもうよいことであり、自然の美と同様に環境条件(設計条件)に対応してナチュラルなプロセスで形成されるのであればよいということである。結果として、それは自然の構造体に宿る本質的な生命力を感じさせるような構造美となるであろうから。

これは素直に感動した。共感した。

なぜ自分が構造と同時に自然に興味を持ったのか。
それは自然の流れだったんだ。

建築の構造美が自然と文化の両方にまたがる領域の問題であり、そのめざすところは同じであるというのが、これまでの経験と思索から得られた結論である。しかるに、構造デザインにおける美的感覚は、構造の着想や解決の方法が美意識においてエレガントにフィットしている、というような曖昧な表現で語る以外に方法はないのも事実である。その多くは暗黙知としての美意識や直観に支えられているからである。しかし一方において、その美意識や直観は構造家としての経験や知識が触媒となって、内的経験として形成されたものにほかならない。構造の着想において重要なことは、芸術そのものではなく芸術全般に共通する技術と芸術の境界線上の弁証法であり、徹底的に技術を使うことにより技術そのものが芸術に転化するする臨界点を見極めることである。

自然の持つ2つの側面。
それはお互い相容れることのない「矛盾」。
それでも自然は美しい。


構造の歴史。

一般的に言って、まったく新しい構造の創造などありえない。構造の問題はそれほど独創的ではありえないし、どこか類似した過去の先例を記憶のなかに留めているものである。重要なことは、単なる過去の歴史的成果や事例の模倣ではなく、歴史の創造プロセスを学ぶことにより、本質となる構造の原理や思想を遺産として継承することである。例えば、三次元の懸垂模型実験で有名なアントニオ・ガウディの構造思想は、私にとってそのような歴史的遺産となっているひとつの代表的な具体例である。

構造においては全く新しい創造、というものはなく、
過去の遺産の有効利用が大切、ということでしょうか。

程度の差こそあれ、意匠設計も同じようなことが言えるのではないだろうか。


構造デザインの未来。

20世紀は分析の科学が発達した時代であり、21世紀は統合の科学が発達する時代であると言われている。この論に従えば、20世紀の解析技術が演繹的な分析型の構造解析(順解析)であったのに対して、21世紀の解析技術は統合型の設計解析(逆解析)に向かうことになる。~(中略)~もしも設計解析により主観のはいらない客観的な設計が可能になるとしたらどうだろうか。それは一定レベルの水準をもつ構造設計をごく一般的に可能にすることを意味しており、21世紀の統合型の設計解析の普及と大衆化をもたらすことにつながる。また同時にボトムアップとしてばかりでなくエキスパートに対してもより強力なツールを与えるものとなろう。

主観の要らない、という部分が少し引っかかる。
いかにも技術者らしい意見のように思えた。

全体のレベルと個々の個性の差別化。
やはりお互い矛盾するもので、どちらが大切か、
どちらか一方をすぱっと選択できるものでないだけに難しい問題だけど。


これからの構造デザインに必要なキーワード「形態デザイン」とは?

一般に構造物の形態は、形(幾何学的な形状)と態(力学的挙動)から成り立っており、両者は相互に不可分な関係にある。そこでは形状が変われば構造体の力学的挙動も変わるわけであるから、構造形態を創生する際には両者の関係から構造全体を有機的に把握しておく必要がある。そのためには両者のフィードバックに基づく非線形理論的な手法が必要であり、このような立場から構造の形態を理論的にデザインすることを形態デザインと呼んでいる。一方、形態解析は形態デザインの過程において形態を創生するための数理解析法を言う。

コンピュータの飛躍的な処理能力向上により多様な設計が可能になった...らしい。


形態デザインをどのように構造デザインに生かしてゆくのか?

一般に構造形態の最適化解析は、非線形問題としての局所的最適解を得ることと大局的最適解を得ることに大別される。~(中略)~前者ではある全体像をベースにしているだけに、求めるべき構造形態は必ず予測可能な範囲に収束するのだが、その反面、設定した初期形状に依存する部分が大きく、形態のクオリティはひとえに初期形状の良否によって決まる。一方、後者ではベースとなる全体像が不確定のため、求めるべき形態が何処に収束するかは予測不能ではるが、その反面、試行錯誤のプロセスで得られた解のなかから人間の想像力を越えた不思議な構造形態が得られる可能もある。これら2通りのアプローチのうち、どちらを採用するかはプロジェクトの性格(および建築家との協働体制)によって適宜に選定すればよい。

  前者: 修正ツールとしての利用方法 - アイランドシティ中央公園中核施設(伊東豊雄)
  後者: 創生ツールとしての利用方法 - フィレンツェ新駅(磯崎新)


ってなぐあいで形態デザインの導入例が紹介されているのですが。

後者は言ってしまえばコンピュータに選択させ、コンピュータにデザインさせている、
ってことにはならないだろうか?

人間の手を離れ、ロボットに設計させる。
確かに近未来的だけど、ちょっと危険な気もする。


人道的には前者の利用方法のほうがよい気がするけれど、
これは古い考え方なのだろうか?


難しい理論について行けるかどうかはとても心配だけど、
やはりもっと構造をちゃんと勉強したいな、って思いました。


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