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2011年1月 2日

天才建築家ブルネレスキ【ロス・キング】

建築デザイン/ 読書

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  〜フィレンツェ・花のドームはいかにして建設されたか〜


初期ルネサンスの代表的な建築といえば、
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

といっても建物全部がルネサンス様式なのではなく、
ファサードや内部空間はむしろゴシック様式となっている。

この建築のルネサンスたらしめているのはドォーモ。
一千年以上もの長き間にわたって世界最大の石造ドームであり続けた
古代ローマのパンテオンを凌ぎ、その後もこのドームを越える
石造ドームは現れていないという。


このドォーモを設計し、実現した男が本書の主人公、
フィリッポ・ブルネレスキである。

彼は芸術家ではなく、職人であった。

ルネサンスは芸術ではなく、技術からはじまったのである。



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(出典:Wikipedia)

640px-Florence_Dome.JPG
(出典:Wikipedia)


1418年、建設中の大聖堂に主ドームを架けるための模型ないし設計図の
競技設計(コンクール)が実施された。

当時、フィレンツェでは一世紀以上にもわたって
この壮麗な大聖堂の建設が続けられていた。
つまり、この時点で意匠設計はすでにできており、
コンクールではどうやって建てるか、という問題を解決する構造家が
求められたのである。


このコンクールを勝ち抜けたのがブルネレスキだった。

当時は構造家はもちろん、建築家という専門職さえなかった。
ブルネレスキは機械工学をベースとした金細工師であり、
手先の器用さと発明の才を生かして時計製作から彫刻、建築、と
手広く活動する「職人」だった。

生まれたときから建設中の大聖堂を眺めて育ち、
いつしか自分の手でドームを架けることを夢見るようになったのだろう。
時にはローマへ出かけて古代ローマの発達した文明を研究したりもした。
並外れた技術力と追求心が大聖堂のドーム建設という好機に巡り会ったとき、
後世に残る文明と建築が誕生したのである。


パンテオンは直径43メートルの球がすっぽり入る大きさである。
サンタ・マリア・デル・フィオーレのドームはこれとほぼ同じ規模であるが、
完全な半球形ではなく、平面は八角形となっており、
断面は「五分尖頭形(クイント・アクト)」という形状を
採用することで高さを稼ぎ、さらにドーム頂上部にはランタンと呼ばれる
尖塔が設置され、その高さは107mにも及んでいる。

パンテオンがコンクリート造であるのに対し、
サンタ・マリア・デル・フィオーレは基本的にレンガ造。
ゴシックへの対抗意識からフライング・バットレスは採用せず、
パンテオンが底部で7mという分厚いコンクリート壁であるのに対し、
サンタ・マリア・デル・フィオーレでは内壁・外壁の二重壁で強度を出している。

さらに驚くべきは、
これだけの巨大なドームを迫枠なしで造った、という事実である。

得意なメカへの強さを発揮して、ブルネレスキは、
巨大な石材、無数のレンガを高いところへ運ぶための
クレーン巻き上げ機を発明した。

彼の最大の功績は建築家としての手腕ではなく、
こうした運搬機械などの発明、発明家としての手腕だったようである。


夢見るだけなら誰にでもできる。
夢を実現するためには「技術」が必要である。
大切なのは技術は夢を叶えるための道具だ、ということである。

現代社会はあまりに分業しすぎて、
夢と技術が上手く結合できていない気がする。
そして、夢を与える人=芸術家と、夢を実現する人=技術者とが
反目し合うようになった。

かつては同じ夢を見ていたはずなのに。


ブルネレスキの登場以後、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの
天才が登場したが、いずれも自分の「分野」にこだわらなかった。
彼らは優れた画家であり、彫刻家であり、建築家であった。

天才とは、夢の実現のためにあらゆる努力ができる人のことを
言うのではないだろうか。


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