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2010年11月11日

アントニオ・ガウディ【鳥居徳敏】

建築デザイン/ 読書

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最もお気に入りの建築家のSD選書をまだ読んでなかった。
卒業制作のラストスパート前に読む本として、
これほどふさわしい本もない。


アントニオ・ガウディ。

最も独創的でありながら、最も多くの人に受け入れられている建築家。
好き嫌いはあるだろうけど、
建築に詳しくない人でも彼の名前を知らない人間はいないだろう。

逆に現代建築の普及に最も貢献したと言われる20世紀の三大建築家、
コルビュジエ、ライト、ミースの名前は、
建築にそれほど興味がない人にはなじみがないかもしれない。
この差は一体なんなのだろう。


コルビュジエ、ライト、ミースは世界各地にたくさんの名建築を残した。
一方ガウディと言えば、スペイン、それもそのほとんどが
バルセロナを中心としたわずか25点ほどの建築群。
そしてその中のただ一つの作品が彼を世界で一番有名な建築家たらしめている。


神の建築家。
神に愛された建築家。


それがガウディをガウディたらしめている。



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(出典:Wikipedia)


著者は日本語のガウディ関連の書籍には多く登場する鳥居徳敏氏。

ガウディがいかにして神の建築家となったか、
分かりやすく解説されています。
読みやすかった。


昔から信仰心が厚かったわけじゃなかった。
そして若い頃から天才だったわけじゃなかった。
学校の成績もぱっとしなかったという。
...建築設計科目をのぞいて。

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【学校での課題作品「中都市の霊園門」】(出典:Wikipedia)

...このパース力。
やっぱ天才じゃん。


貧しい家庭を支えるべく、バイトに追われながらもなんとか学校を卒業。
建築士の称号を与えられる。

1878年のパリ万博でのコメーリャ革手袋店のショーケースが、
生涯のパトロン、グエル伯爵をガウディに引き合わせる。

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【コメーリャ革手袋店ショーケース】(出典:Wikipedia)


グエル別邸を手がけ...

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【グエル別邸正門「竜(ドラゴン)の門」】(出典:Wikipedia)


やがて、かの名作、グエル公園を手がける。

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

最初は公園としてではなく、郊外の分譲住宅地として計画されるも、
予定された60戸のうち、実際たてられたのは三邸のみ。
しかもそのうち二邸はグエルとガウディの邸宅だったという。

公園は多数の柱で支えられており、その階下は市場スペースが考えられていた。
さらにその地下には柱を通して雨水を集める貯水槽となっていた。
見た目だけでなく、機能的にも申し分のないものだったはず。

現在は世界遺産として登録されるほどの名作も、
最初は誰も振り向かなかった。
時代が彼らについてゆけなかった。
本物とは、じっくり時間をかけて評価されるものなのだ。

すぐに評価されるものだけが良いものではない。


独創的なガウディ建築も最初から独創的だったわけではない。

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【カサ・ビセンス】(出典:Wikipedia)

初期の代表作、カサ・ビセンスはカタルーニャ地方独自の様式である、
ムデーハル様式が色濃く現れている。


ガウディがパトロンのグエルに頼り切っていたなら、
今日ここまで有名にはならなかったであろう。

縁が彼をサグラダファミリアに導いた。
まさに神が導いたのであろう。
この教会の専属建築家となることで地位と名誉を手に入れた神の建築家は、
さらなる機会に恵まれる。


まずはカサ・バトリョ。

カラフルなファサード。

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)


天井からなにか自然に生えてきたような装飾。

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(出典:Wikipedia)


天井裏だってガウディにかかればこんな魅力的なスペースに。

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(出典:Wikipedia)


そしてカサ・ミラ、通称「ラ・ペドレラ(石切り場)」。

波打つような外観。
聖マリアの台座としてデザインされたとか。

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(出典:Wikipedia)

カサ・バトリョほどの色彩の豊かさはないけれど、
そのぶん、造形がより立体的となっている。
石造の耐力壁ではなく、鉄骨の柱梁構造。
(外周のみレンガ造の耐力壁)

あまりに複雑な造形ゆえに図面化が難しく、
1/10模型により建築が進められたという。


建物の真ん中には2つのパティオ(中庭)が
建物に穴を開けるように置かれている。

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(出典:Wikipedia)


ユニークな煙突たち。

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(出典:Wikipedia)

カサ・バトリョは新築ではなく増築なのだけれど、
外観、内観双方の完成度が高いものになっているのに対し、
カサ・ミラはガウディがこの建物に聖マリア像を設置しようとしたところ、
悲劇の週間という反キリスト教運動の報復を恐れた施主の拒否にあったことで、
意欲を失い、内装を弟子たちに任せて自分は身を引いてしまったという。
バトリョに比べて規模が大きく、外観が素晴らしいだけにもったいない。

外観はカサ・ミラ、内観はカサ・バトリョと言ったところだろうか。


カサ・ミラ、カサ・バトリョもすばらしいけど、
ガウディといえばやはり宗教建築。


まずはコロニアグエル地下聖堂。
未完の大作。

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【ファサード】(出典:Wikipedia)


かの有名な逆さ吊り模型。

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(出典:Wikipedia)

重力により自然に構成される造形へ働く力は純粋な引張力だけである。
この造形を固定して逆さにすると、純粋な圧縮力だけが作用する構造体となる。
そうして出来上がる構造体は本当に美しい。

未完なのが本当に惜しい。
今からでも造ればいいのに。

できていればこんな感じ。

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【コロニアグエル完成予想図】(出典:Wikipedia)

建っていたなら、
サグラダファミリアに負けるとも劣らない、偉大な建築になっただろうに。


内部もまた、有機的で美しい。

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(出典:Wikipedia)


そして最高傑作、サグラダファミリア。

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

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(出典:Wikipedia)

中も外もまるで自然から「生えて」きたような感を与える有機性。
大木がじっくり時間をかけてゆっくり成長するように、
この建物も1世紀以上もの時を経て尚、今も建設中である。


建築一筋で、著書らしい著書も残していないけれど、
記録が残す彼の言葉からは、学ぶべきことが多い。

「人は境遇に従って生きなければならない。都合のよい境遇であれば、それにさからわず、不都合な境遇であれば、それと戦いながら生きなければならない。努力にむくいのないものは一つもないのであるから、与えられた境遇は常に活用しなければならない。境遇は天が人に命ずる天命である。(P74 第二章 育ち)

流されすぎず、逆らいすぎず。
流れに乗るべき所と、戦いに挑むべき所。
機を逃さず、タイミングを図る。

世の中、何事も縁が大事。


どれほど努力し、どれほど良い作品を作ったとしても、常に報いられるわけではない。それほど、この世は無常でむなしいものなのか。努力し、人に騒がれる作品も作った。一応の名声も得たし、経済生活も豊かになった。しかし一旦それらを得てしまうと、ただむなしさだけが残った。望んで得たものが大したことではないことを知ったのだ。名声も努力も作品の完成、もしくは実現に何ら役に立たなかったことが、何よりもガウディをむなしくさせた。何のための人生か、何のために生きなければならないのかと、ガウディは真っ向から人生の難問題にぶつかった。闇雲に走り続けたガウディは、この時まで生きるだけで精一杯だった。が、ついに人生の壁にぶちあたった。精神の危機である。(P138 第三章 戦い)

しかし、それでもぶつかる壁はある。
しかし、その壁にぶつかることで人は大きくなれるのである。


「終わりなき形成のなんという喜びであろうか。この聖堂の建設に一生の命以上のものを捧げている男が、慎み深くも、その完成を見ようとせず、後の世代の人々に建設の継続と完成を託していることを私は知っている。この慎み深さと自己犠牲のしたに、神秘主義者の夢と詩人のとぎすまされた楽しみとが脈動しているのだ。なぜなら、一人の生命よりも長い年月を要する作品に、また、将来の幾世代もの人々がつぎこまなければならない作品に、その人の全生涯を捧げること以上に、さらに意味深くより美しい目的があるとでもいうのであろうか。こうした仕事が一人の男にどれほどの安心をもたらすことであろうか、時と死に対する何というさげすみであろうか、永遠に生きることの何という保証であろうか。(P140 第三章 戦い)

どれだけたくさん作るか、ということに価値があるのではない。
どれだけ自分のつくったものを愛せるか。
そしてどれだけ多くの人に愛してもらえるか。


人間は生まれも育ちも違うから、必然的に個性的存在にならざるを得ない。にもかかわらず、不和雷同して、他人を真似ているばかりでは、知らず知らずのうちに自分を非個性的にし、せっかくの個性を台無しにする。その逆にガウディのように独創的たることを激しく望み、そのための努力を惜しまぬ人間は、無意識のうちに自分をますます個性的にし、作られた個性から作った個性へと自分を作る。このように個性化された人間は、独創的たろうと意識しなくとも、精神構造が既に個性的であるから、自動的に個性的に作動し、作られたものも必然的に独創的なものにならざるを得ない。(P144 第四章 実り)

奇をてらうのではない。
「自分らしさ」を真剣に考えるとき、
自ずとそこから生まれてくるものは独創的になるのだ。


「貧しさとみじめさを混同すべきではない。貧しさは優雅と美に導き、富は豪奢と複雑をまねき、美しくはあり得ない。」「芸術家が芸術の向上に見合うためには、苦痛とみじめさに耐えなければならない。規律を守るためには、むちが不可欠であり、むちは規律を乱さぬための唯一の手段である。」つまり、芸術は人間にとって崇高なものであり、芸術家はこれに携わるだけで至福の恩恵に浴しているのであるから、俗世の楽しみや豊かさを人並みに受けていては余りにも申し訳なく、もしそうするなら、芸術の向上は望み得ない。それほど芸術は厳しく、苦痛と貧困に耐えてこそ、よき芸術作品に達し得るというのである。(P240 第四章 実り)

芸術は娯楽ではない。
本質を見出すための飽くなき追求である。


この本を読んでいて、卒業制作の構造を吊り構造にすることを思いついた。

積み重ねていくのが難しいなら吊ってみたらどうか、と。
もちろん、吊ることだって決して簡単ではない。
狭い学校の中には吊り構造を検証できる場所もなさそうだし。

それでもチャレンジしてみようと思う。
自然の「重み」を受けて形成される美しさを求めて。


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