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2009年7月31日

ゴーギャン展【東京国立近代美術館】

アート/ 展示・イベント

zuroku_gauguin.jpg
[図録 2200円]

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

ゼミの展示の撤収も終わり、一段落したところで。

久々にアート系の展示を観にいきました。
久々の東京国立近代美術館。
ゴーギャン展

正直ゴーギャンはそれほど好きではないのですが、
中村先生からタダ券をもらったので。

印象派の絵が一番好き。
エゴと客観とがほどよくバランスがとれている気がして。

印象派以前はいかに模倣するか、いかに客観的であるかに重きを置き、
印象派以後は過度にエゴが露出してゆく。
とくにゴーギャンの時代はポスト印象派(後期印象派とも呼ばれるみたいですが)と
呼ばれ、ゴッホやセザンヌらと共に印象派の持つ客観性を離れ、
より自己の内部へと向かう。


客観的すぎる絵画は退屈だし、
かといって極端なエゴは自分の好みに合えばはまるけど、
そうでなければどん引きしてしまう。

自己と他者のほどよい調和の美しさが印象派の絵にはある気がするのです。


しかし。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

この人類の永遠のテーマには誰の心にも突き刺さるはず。
もちろん自分にも突き刺さった。

いくら考えても完璧な答えなど出てこないのに。
昨日出た答えは今日にはもう違う答えになっている。

この命題はメビウスの環のごとく、永遠に続く。



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gauguin.jpg


夏休みということで会場はそれなりに混んでいましたが、
じっくり鑑賞することはできました。


一番の目玉はやはりこれ。

[我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(1897-1898年)]
Woher_kommen_wir_Wer_sind_wir_Wohin_gehen_wir.jpg
(出典:Wikipedia)

直前の大きなスクリーン映像コーナーで分かりやすく解説が入った後、
どーんと広い一室に一点展示。

生まれてから死ぬまでの「人の道」を見る人に問いかける。
誕生と死滅という入口と出口は皆同じ。
その間にどのような道をたどるか。
その道は人それぞれで1つとして同じ道はない。

その道は神が定めるのか。それとも自分自身で切り開くものなのか。
この命題を太古より今日まで人は自ら問い続けた。
ゴーギャンも自ら遺作と位置づけて(実際にはその後も絵を描いているけど)
自らが絵に求めたこの命題の答えを全精力を傾けて描いた。


個人的に好きな1枚。


[洗濯する女たち、アルル(1888年)]

ポスト印象派といっても印象派の絵画に刺激を受けたことが
ゴーギャンの出発点であり、初期の作品は印象派の作風が現れていた。

自分の道を模索するうちに印象派の作風を脱却し、
徐々に自身の心象風景へ向かいはじめた時期の1枚。
描かれる風景、人、事物はデフォルメされ色彩も自由なものになってゆく。
しっかりとした輪郭線を描くクロワゾニスム技法が目立ってくる。


本展では展示されていないのですが、中村先生の授業で取り上げられた
この絵も僕のお気に入りの1枚。

okm_gogan_fighting.jpg
[説教の後の幻影(ヤコブと天使の戦い)(1888年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

こちらはより客観性を脱し、自己の内部へと向かってます。


迷ったけれど、図録を購入。

gauguin_zuroku.jpg

2,200円にしてはセミハードカバーでしっかりした作りになっています。


やっぱりアートはデザインと繋がっている。



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