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2011年4月 アーカイブ

2011年4月25日

大和ミュージアム【呉市海事歴史科学館】

空間デザイン

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広島県呉市にある大和ミュージアムに行ってきました。
呉港のすぐそばにあります。


呉は港町。
かの有名な戦艦大和が造られた街であります。
呉高専出身で、かつては毎日のように呉を通っていたけど、
呉港には一度として行ったことはなかった。
呉駅から歩いていける距離であることも知らなかった。
もちろん、船に乗って愛媛に渡ったこともなかった。
だからこの二十年で呉港がどれだけ変貌したのかは正直よく分からない。
しかしまあ、このあたりも開けてきたんだな、という雰囲気は何となく感じる。

すっかり呉の街も観光地化してるようです。


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2011年4月19日

さらば、東京。

その他

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「僕たちにとって、自分は一番驚くべき存在なのさ」と彼は言った。「砂粒ほどの信仰があれば、僕たちは山を動かすこともできるのだ...(中略)...この力を認め、信じなさい。そうすれば、その力は自ずと現れる」「そんな風にうまくはいかないわ」「僕の言ってることがわかってないんだね」「わかっているわ。でも私は他の人と同じなの。怖いの。あなたや私のとなりの人にはうまゆくかもしれないけど、私には絶対うまくゆかないわ」「いつか変わるさ。本当はあそこにいる幼子と僕たちはまったく同じなのだとわかり始めた時にね」(パウロ・コエーリョ『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』)


ただいま引越し作業最後の追い込み中。
明日にはネット接続も解除して梱包しちゃいます。

つまり、これが東京での最後の記事。

あと数日で、19年暮らしたこの町ともおさらば。

この週末で友人知人が送別会、壮行会を催してくれ、
自分がいよいよ新しい一歩を踏み出そうとしていることを強く自覚させてくれた。


正直ちょっと興奮している。

希望と不安が入り混じって。

この町で僕の前に現れては消えていった、あまりにも多くのことを思って。


生まれてから最初の二十年、僕は自分を守るために自分の殻の中に閉じこもった。
たぶんものごころがつく前のことだったのだろう。
何から自分を守るためにそうしたのか、記憶にない。
僕の青春は無為だった。

二十歳で学校を卒業して、就職で上京した。
とにかく早く里親の元から離れて自立したかった。
しかし僕が本当に自立しようとしたのは、それからおよそ14年後のことだった。


幼い頃の劇的な外部の変化が、僕に外部へ対する強い警戒心を持たせた。
内部を外部からシャットアウトすることで自分を護った。

ケモノとして生きていくのなら、それは理想的な生き方かもしれない。
しかし人間はそんな生き方では決して幸せになることはできない。

幸せは待ってれば向こうからやってくるものじゃない。
自分で考え、探し、獲得するものだ。
その行為そのものが「幸せ」なのだから。


「大切なもの」は目に見えない。

大切なものと大切なものを繋ぐために、
大切なものを共有するために、
人間は目に見える、触れることのできる「モノ」を創る。


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2011年4月 7日

卒業生にインタビュー

学業

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写真: 多摩美術大学造形表現学部デザイン学科サイトより


少し時は遡って。

卒業制作の展示が終わってほっとしているところへ、
学校のHPに掲載するインタビューを受けました。

今年卒業するデザイン学科の4年生で、各コースから一人ずつ。

テーマは、学生生活を振り返り、
後輩や将来入学を検討している人たちへのアドバスを、といった感じのもの。


ふと、学校のHPを見てみると、
そのときのインタビュー記事が掲載されてました。


  多摩美術大学 造形表現学部 デザイン学科 | STUDENT REPORTS
  第12回 | 卒業生にインタビュー


入学を検討されている方へ、一助になれば幸いです。


こういうブログをやっていると、よく入学の相談を受ける。

自分は入学する前にオープンキャンパスに一度きて失望し、
在校生にヒアリングすることもまったくしなかったものの、、
最終的には「第六感」で入学を決めた。


まあ、それでも僕はこの4年間を後悔などしていないし、
逆にとても充実したものにすることができた。


結局他人の言葉は自分の背中を押してくれるだけでしかなく、
実際に一歩踏み出すのは「自分」なのだ。

そのことをしっかり自覚しなければ、
どんなに事前に念入りにチェックを入れたとしても、
大学生活を全うすることは難しいのではないだろうか。


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2011年4月 4日

駒沢オリンピック公園【東京都世田谷区】

空間デザイン

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東京・世田谷区の駒沢オリンピック公園。
1964年の東京オリンピックでは第2会場として使われました。
Wikipediaによれば、元々は「東京ゴルフ倶楽部」というゴルフコースで、
オリンピック開催により、都市計画家の高山英華を中心に、
芦原義信、村田政真、横山光男、八十島義之助、秀島乾らが設計を手がけたのだとか。

公園外周を周回するジョギングコースやサイクリングコースが整備されており、
ランナーやサイクリストで賑わう公園であります。
自分は在京時代、スキーのオフトレーニングでインラインスケートをしによく行ってました。


独特な外観の体育館や屋内球技場、陸上競技場、オリンピック記念塔など、
建築的興味もつきない場所です。


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2011年4月 3日

あの鐘を鳴らすのはあなた

その他

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[ミレー『晩鐘』(1857-59年)](画像は大塚国際美術館の陶板画)

 ♪ あなたに逢えてよかった
  あなたには 希望の匂いがする
  つまづいて 傷ついて 泣き叫んでも
  さわやかな 希望の匂いがする

  町は今 眠りの中
  あの鐘を 鳴らすのはあなた
  人はみな 悩みの中
  あの鐘を 鳴らすのはあなた ♪

 (作詞:阿久悠 作曲:森田公一 『あの鐘を鳴らすのはあなた』)


自分は感傷的な人間である。

ときにはその「おセンチさ」が鼻につき、イラっとする人もいるだろう。
それは自分でも分かっている。
それでも、自分はその「おセンチさ」を恥じたり、直隠しにはしない。
「おセンチさ」が自分を成長させてくれるものと信じているから。
そして時には、少なくとも他人の成長に寄与できるものと信じているから。

特に今は、大学を卒業し、およそ20年過ごした場所を離れようとしている時期。

これがおセンチにならずにいられようか。


平々凡々な人間でも、同じ場所で20年も過ごせば、
さまざまなドラマが生まれる。
生まれてから二十歳まで過ごした広島を第一の故郷とするならば、
二十歳から三十代の最後まで過ごした東京は、第二の故郷だ。

東京では多くを学んだ。
無為に過ごした最初の二十年より、なんと濃い人生だったことか。
そして失望ではなく、希望を持ってこの地を離れることができることに、
心から感謝している。


周囲が自分を育ててくれた。
なんと環境に恵まれていたことだろう。

最も恵まれているのは、そのことに自分自身が気付けていることだ。



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