« 2011年2月 | メイン | 2011年4月 »

2011年3月 アーカイブ

2011年3月31日

これからの道

その他

matsuyama_dogopark4.jpg


年度末。

明日から新しい年度。

自分なりの「けじめ」を報告できることに感謝。
みんなに感謝。


大学を卒業し、本来であれば、明日から新しい年度がはじまり、
入社式を迎え、新社会人としてのスタートを迎えるわけだけど。

人よりワンテンポ遅い僕は、
少し遅れて4月下旬から新しいスタートを迎える予定です。


新しい世界への挑戦はいつだって希望半分、不安半分に満ちている。
自分で考え、動いた結果に、社会が応えてくれて、万々歳のはずなのに。

心が現実に追いついてなかった。
なかなか準備に取り掛かれずにいた。
どこかで、「これで本当にいいのか」とささやく声がして。


しかし心を現実に置いている限り、心は現実に向かう。
たとえ、ゆっくりでも。

今回の決断は、決して妥協ではない。
これから自分が目指す目的地への布石である。
緩やかな歩みの第一歩である。


"これからの道"の全文を読む »

2011年3月26日

北海道の海と山と湖

空間デザイン

hokkaido_yoichi_sea.jpg
[余市の海]
hokkaido_yoteizan2.jpg
[羊蹄山]


その昔。

北海道はスキーでしか来たことがなかった。
パウダースノーを堪能できる、GWまで滑れる、という魅力以外、
とくに北海道の文化というものについて考えたことがなかった。

北海道に限らず、その頃は地域性というものを意識したことがなかった。
出発地点から到着地点に向かうその途中課程は、
とにかく最短で済ませたい時間だった。
瞬間移動が可能ならば、なくても良い時間だと考えていた。

今思うと、なんと人生をもったいなく消費していたのだろうと思う。


今回の北海道訪問はあくまで仕事の面接が目的だけれど、
そのための移動であっても、移動は移動。

移動は変化だ。
人間は変化を楽しむ動物である。

人生の楽しみとは、ゼロから作り出したり、
遠くにあるものを見つけに行くことだけではなく、
自分の身近にあるものの中から、いかにたくさんの楽しみを見出すか、
ということがまず根底にありきだと思う。

身近にある楽しみを見出すために、人は遠くへ旅する。
「青い鳥」を見つけるために。


"北海道の海と山と湖"の全文を読む »

札幌一番

建築デザイン

sapporo_clocktower_up.jpg

sapporo_kyudocho_dome.jpg


車でモエレ沼公園聖ミカエル教会をまわり、
時間も夕方になってきたので、ユースホステルへチェックイン。

日が落ちるまでもう少し時間がありそうだったので、
札幌市内を散策しよう、と思ったのですが。

自動車というものは散策には本当に向かない。
目的地に最短で向かうには最適な乗り物なのだけど、
そのスピードスケールは、人間の創造的思考を奪ってしまう。


自動車をホテルの駐車場に置いたまま、
地下鉄で札幌駅へ。


日は照ってるのだけど雪がぱらつき、
昼間は暖かった気温も、急激に下がってきた。

そんな奇妙な天気の中、日が落ちるまでの2時間ほどを
札幌駅からすすきのあたりまでを散策しました。


"札幌一番"の全文を読む »

札幌聖ミカエル教会【アントニン・レーモンド|北海道札幌市】

建築デザイン

stmichaelchurch_topcross2.jpg

stmichaelchurch_alter.jpg


札幌にきたときに見ておきたかった建築が、
イサム・ノグチのモエレ沼公園のほかにもう一つ。

それがアントニン・レーモンドの札幌聖ミカエル教会。


1960年に完成、北海道に現存する唯一のレーモンド建築。
東京の聖アルバン教会を気に入った教会がレーモンドに依頼、
レーモンドは無償でこの教会を設計したという。

竹中工務店のギャラリー「A4」での展示でこの教会の見事な模型を見て以来、
いつかは訪れたいと思っていたのだけど、こんなにも早く訪れる機会がくるなんて。

...神に感謝。


モエレ沼から車のナビの誘導だったので、
正直地理はよく把握していないけれど。

聖アルバン教会のX字の斜め梁、
聖アンセルモ教会の祭壇に集光する折板状の壁。
ミカエル教会はこの二つの見事な教会の良いところが融合した、
とても素晴らしい建物だった。


"札幌聖ミカエル教会【アントニン・レーモンド|北海道札幌市】"の全文を読む »

モエレ沼・ガラスのピラミッド 【イサム・ノグチ|北海道札幌市】

建築デザイン

moerenuma_glasspylamid_top.jpg

moerenuma_glasspylamid_wall4.jpg


≪遊園地を、単純な、不思議な感情を喚起する、形態と機能の入門書として、したがって教育的なものと考えたい。子供の世界は新鮮で明るく澄んだ、はじまりの世界であろう≫(ドウス昌代「イサム・ノグチ 宿命の越境者(下)」より)


※ガラスのピラミッド外観はこちら


冬のモエレ沼公園で唯一内部空間を堪能できる場所。

それがガラスのピラミッド。
マスタープランを設計したイサム自身は完成を見ることなく他界。
今、目の前にある公園の姿はイサムがイメージしたとおりなのだろうか。

実設計、設計管理は川村純一氏をはじめとするアーキテクトファイブ。
アーキテクトファイブ自身についてはほとんど知りませんが、
川村氏は妻の川村京子とともにドウス昌代著のイサム評伝にも登場。


モエレ沼についてはあまり予備知識なしで行ったのですが、
今、記事を書くにあたってWikipediaなどを見て、「ふ~ん」などと思っていたりします。


まずこの公園はモエレ沼という沼に囲まれた公園だということ。
外周の先に見える水路は川ではなく、沼だった。
そしてここは札幌市街美化のためにごみを埋め立てられて作った公園だということ。
これにはちょっとがっかりかなあ。
人間のエゴを美化しているような気がして。

ここにきて、最初に見かけた山も、モエレ山、という人口の山なのだとか。


広島の平和記念公園同様、建築的魅力、というよりは、
ランドスケープ的魅力が目立つ空間のように感じました。

こうしてみると、建築ってやはり独特の表現手段のように感じる。


"モエレ沼・ガラスのピラミッド 【イサム・ノグチ|北海道札幌市】"の全文を読む »

冬のモエレ沼公園【イサム・ノグチ|北海道札幌市】

建築デザイン

moerenuma_tetramound3.jpg


≪私にとって遊園地は、ひとつの世界を作りだすことを意味する。いわば理想の国を、縮小した形で建設することなのだ。それは、子供の背丈で、駆け回れる国である≫(ドウス昌代「イサム・ノグチ 宿命の越境者(下)」より


仕事の面接で北海道はニセコに行ってきました。

約束の時間に当日出発で到着することができないため、
札幌で前泊することに。
これはもう前日は観光するっきゃない、ということで、
朝早く東京を出て、10時ごろ千歳空港に到着。

最初はいつもどおり電車を使って移動しようかと思ってたのだけど、
さすが北海道はでっかいどう、接続が悪い割に金額もかかってしまう。
ちょっと調べると、楽天トラベルで、
往復の空港チケット+ホテル代+レンタカーつきでお得なパックがあったので
それを利用することにしました。

雪道はおろか運転そのものが久しぶりだったので、
ちょっと不安だったのだけど、
今後はなにかと車を運転する機会が増えることだし、
運転練習だと気を引き締めて、空港を出発。
一路札幌市内へ。

ナビ付だったので、慣れない土地でも不安なく目的地へ行けるのは便利だけど、
一方で、こうして人間本来の方向感覚は退化していくんだなあ、
...という一抹の不安も。


札幌で一番いきたかったのはイサム・ノグチの遺作、モエレ沼公園。

四国は香川県牟礼にある庭園美術館にも行ったし、
ニューヨークのノグチ・ミュージアムにも行った。
次はモエレ沼、と行ける日を待ち望んでいた。


ようやく念願叶って、行くことができたのだけど。

...そこはあたり一面の銀世界だった。
冬に行くところじゃないね。

それでも、イサムの目指した桃源郷が垣間見えた気がする。


"冬のモエレ沼公園【イサム・ノグチ|北海道札幌市】"の全文を読む »

2011年3月25日

多摩美術大学卒業式

学業

tamabi_graduationproof.jpg

♪ 卒業だけが理由でしょうか
会えなくなるねと 右手を出して
さみしくなるよ それだけですか
むこうで友達 呼んでますね
流れる季節たちを ほほえみで
送りたいけれど

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに
ため息またひとつ ♪
(柏原芳恵 『春なのに』)


本日卒業式。
卒業式の定番ソングの認識で年代がばれますね...


震災を配慮して全体式典は中止となり、
学科ごとに集まって学位を授与する、という形式に。

正直「震災を考慮」すると、どうして全体式典が中止になるのか、
今もってよく分からない。
実際、普段どおり全体式典を行う学校もあるわけだし。
被災地においてさえも卒業式を行う学校もあるのだし。

震災被害を悼む、ということは、
自分のめでたき日を慎む、ということとは異なると思うのだけど。


モラルというものは本当に難しい。
細やかな感情表現にこだわる国民性だけに、
人によってよしとするモラルにばらつきがあり、
すべての人を満足させるモラル行為というものが決められない。
学校としてもいろいろ悩んだ上での決断だったと思います。
そこにケチをつける気は毛頭ありません。

自分自身、式次第というものにあまりこだわりがないし。
入学式と同じくジーンズで最前列の席に座って参加。


大事なのは心の区切り。
たくさんの人の助けにより、心から満足できる区切りをつけることができた。


みなさん、本当にありがとうございました。
そして、今後ともよろしくお願いします。



"多摩美術大学卒業式"の全文を読む »

2011年3月22日

カテナリーカーブが美しい木造アーチ橋・錦帯橋【山口県岩国市】

建築デザイン

iwakuni_kintaikyo_reverseside_s.jpg


鉄とコンクリートの登場で人間社会の建築は一変した。
より正確で効率よい生産方式で建築の生み出す空間はメガスケール化した。

しかしそのスケールは本当に人間に必要なものなのだろうか。
元々そんなに正確でない人間の身体に、正確に計算された空間が必要なのだろうか。
計算されつくした空間は、人間に窮屈さを感じさせる。

木は鉄やコンクリートほどの耐久性はないかもしれないけれど、
人間に近しいその存在は親近感を感じさせ、「やすらぎ」を与えてくれる。
材料そのものは朽ちても、「かたち」は残り続ける。
「よいもの」とはそういうものだ。


愛媛へ移住する直前、実家へ帰省した折に、
山口県岩国市の錦帯橋を訪れました。

木造でだってこんなに立派なものができる。
いや、木造でなら、こんなに人間にとって心地良いものができる。


"カテナリーカーブが美しい木造アーチ橋・錦帯橋【山口県岩国市】"の全文を読む »

2011年3月21日

世界平和記念聖堂・内観編【村野藤吾|広島県広島市】

建築デザイン

shks_alter3.jpg

shks_stendglass.jpg


...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)


外観編


村野藤吾設計、世界平和記念聖堂。
この教会が故郷広島にあることを心から誇りに思う。

ここを案内してくれたガイドの方が言うには、
広島市内は業者による癒着が少なく、建築家が自由に建てやすい土壌だと。
そのため、魅力的な建築が多い、と。

丹下健三の平和記念公園をはじめ、
村野藤吾の世界平和記念聖堂、黒川記章の広島現代美術館、
原広司の基町高校、谷口吉生の環境局中工場、山本理顕の西消防署など...
著名な建築家の建物が多くあるようです。


さて、話を世界平和記念聖堂に戻して。

外観編に続いて内観編。


"世界平和記念聖堂・内観編【村野藤吾|広島県広島市】"の全文を読む »

世界平和記念聖堂・外観編【村野藤吾|広島県広島市】

建築デザイン

shks_facade3.jpg


...而してこの聖堂によりて恒に伝へられるべきものは、虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈愛、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし。故にこの聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安とのために祈られんことを。(聖堂記 昭和29年8月6日)

内観編


広島は世界ではじめて核兵器で爆撃された街である。

広島は戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを知る街である。
広島を故郷とする人間はそのことを誇りに思っている。

僕もそんな広島県人の一人である。


広島には世界平和を願うための施設が二つある。

丹下健三が設計した平和記念公園ともう一つが今回紹介する、世界平和記念聖堂。
設計は村野藤吾氏。
完成は平和記念公園とほぼ同時期の1954年。
平和記念公園と同じく、原爆という悲惨な経験を繰り返さぬよう、
世界平和を願って建てられた教会。

...恥ずかしながら、二十歳まで地元にいたときはこの教会の存在を知らなかった。
当時は仏教以外の宗教に触れる機会がまったくなかった。
当時実家が喫茶店を市内で営んでいて、
小中学生の頃はよく通ってたけれど、実はこの教会の近くだった。
灯台下暗し。

建築に興味を持つようになったここ数年でここの存在を知ったわけですが、
村野藤吾氏の建築が大好きで、ずっと訪れたい、と思ってました。
念願かなってようやく。


...思った以上に良かった。
丹下さんの東京カテドラルに勝るとも劣らない魅力を感じた。


信じることは力を生む。
信じる力が集まって宗教が生まれる。
それは絶大な力となる一方で、信じないものたちを排斥しようという力も生まれる。
宗教は諸刃の剣である。

この教会はそんな宗教の垣根さえも越えようとするものだ。
平和はすべての垣根を越える。
そういうものではないだろうか。


"世界平和記念聖堂・外観編【村野藤吾|広島県広島市】"の全文を読む »

2011年3月20日

広島平和記念公園【丹下健三|広島県広島市】

建築デザイン

hpc_model_dome3.jpg

hpc_atomicchild_up2.jpg


平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。
平和は自然からも神からも与えられるものではなく、
人々が実践的に創り出してゆくものである。
この広島の平和を記念するための施設も与えられた平和を
観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すという
建設的な意味をもつものでなければならない。
わたくし達はこれについて、先ずはじめに、いま、建設しようとする施設は、
平和を創り出すための工場でありたいと考えた。
その「実践的な機能」を持った工場が、
原爆の地と結びつくことによって、
平和を記念する「精神的な象徴」の意味を
帯びてくることは極く自然のことであろう。
この二つの調和が計画にあたっての目標であった。

丹下健三「広島市平和記念公園及び記念館競技設計等選図案1等
ー広島市平和記念都市に関連してー」『建築雑誌』1949年11月号


広島は世界ではじめて核兵器で爆撃された街である。

広島は戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを知る街である。
広島を故郷とする人間はそのことを誇りに思っている。

自分もそんな広島県人の一人である。


広島には世界平和を願うための施設が二つある。

村野藤吾が設計した世界平和記念聖堂ともう一つが今回紹介する平和記念公園。
日本が世界に誇る建築家、丹下健三氏がマスタープランを担当し、1954年完成。
負の世界遺産、原爆ドームを筆頭に、
平和記念資料館、原爆慰霊碑など、平和を祈る数々の施設を有し、
広島のみならず、日本が世界に誇る「平和を祈る場」である。


幼い頃からこの公園は身近な場所だった。
遠足で何度も訪れたし、フラワーフェスティバルではメイン会場になる。
しかし、当時はこの施設の存在意義を本気で考えたことはほとんどなかった。

故郷を永く離れ、建築に興味を持つようになった今、
ようやく僕はこの公園に正面から向き合うことができる。


故郷の大切さを知るために人は旅に出る。


"広島平和記念公園【丹下健三|広島県広島市】"の全文を読む »

路面電車と庭園とお城のまち【広島】

空間デザイン

hiroshima_shukkeien_ume2.jpg

hiroshimajo_honmaru2.jpg


故郷・広島。

実家は広島市の隣の安芸郡海田町。
家族が市内で喫茶店をしていたこともあり、
子供の頃は市内によく出かけていた。

二十歳で上京した後はなかなか故郷に戻ることもないのだけど、
ここには自分の原風景がある。
世界で初めて原子爆弾による爆撃を受けた街として、
平和の街、というプライドがある。


それでも久々に故郷に戻ってみると、
故郷について十分知っているようで知らない部分がまだまだたくさんある、
ということに気付かされる。
ちょっと距離をおいて眺めることで見えてくるものもある。


"路面電車と庭園とお城のまち【広島】"の全文を読む »

路面電車と温泉とお城のまち【松山2】

空間デザイン

matsuyama_dogopark2.jpg

matsuyamajo_honmaru3.jpg


東北大震災の直後から東京を出て、およそ5日ほど中四国地方にいました。

それは決して避難的措置からではなく、
単に就活の面接とそれに伴う帰省、というまったくの偶然のタイミング。

東北を襲った未曾有の震災に対して、
自分はことさら過剰に反応しないようにしています。
普段どおり生活することを心がけています。
もちろん計画停電や気持ち程度の義援金、節約には協力しますが、
部外者である自分が今すべきこと・できることは、
「自分の人生をしっかり生きる」ことだと思うからです。

何もできないなら、せめて邪魔にならないようにしよう。
画面から入ってくる情報だけで、余計な不安を煽り立ててはいけない。
何もできないなら、せめて復興活動が成功するように祈ろう。
周囲が元気なら、不遇に見舞われた人々もやがて元気になれるはずだから。


松山といえば、お城温泉

お城は思った以上に高いところにあって、立派なお城だった。
温泉は思った以上に街中にあって、松山の憩いの場となっていた。

街は大きすぎず、ほどよいスケールでゆったりとしている。

まさに漱石と子規の愛した文化の街だね。


"路面電車と温泉とお城のまち【松山2】"の全文を読む »

路面電車と温泉とお城のまち【松山1】

空間デザイン

fmp1.jpg


仕事の面接で愛媛へ行ってきました。

東京からだと遠いので、前日入りだったのですが、
面接地の西予市は宿の相場がやや高めだったので、
松山に宿をとることにしました。

せっかくなので、早めに到着して松山の街を散策。

夏目漱石「坊っちゃん」の舞台であり、
正岡子規の故郷でもある文学のまち。


"路面電車と温泉とお城のまち【松山1】"の全文を読む »

2011年3月12日

失敗作を集めたレシピノート

その他

flowerarrangement.jpg


ニュージーランド地震を遙か遠い彼方の出来事として傍観していたら。

やってきたよ、日本にも。
それも三発。
しかも国内観測史上最大級。

こんなにも大きく、こんなにも長い揺れを体験するのははじめて。

日本のほぼ全域の海岸線に津波警報。
交通網は麻痺し、ライフラインも一部一時断絶。


しかし悪運強し。

地震発生時は自宅にいて、僕が住む地域はほとんど被害なし。
ライフラインもほとんど影響を受けず。

偶然の幸運を見つけ出すのがセレンディピティなら、
これも一種のセレンディピティなのだろう。


どんなときも、希望を失わずにいよう。
苦しいときこそ、抗い難い苦難に出会ったときこそ、
小さな「花」を見つけ出す努力をしよう。


それが人間らしく生きる、ってことじゃないだろうか。

震災に遭われた方へ、心よりお見舞い申し上げます。
震災により尊い命を奪われた方へ、心からご冥福をお祈りいたします。


"失敗作を集めたレシピノート"の全文を読む »

2011年3月 9日

卒業認定通知と成績表【4年】

学業

gradpass.jpg


   ♪ 瞳を閉じればあなたが
   まぶたのうらにいることで
   どれほど強くなれたでしょう
   あなたにとって私もそうでありたい ♪

   (レミオロメン『3月9日』)


卒業認定通知と最後の成績表が届きました。


無事卒業できます。

まあ、卒業そのものはまったく心配してなくて。
今一番の懸案は、卒業後のことについて。
現在必死に就活中。

資金が底をついた今、さらに学ぶ、という選択は
否応なく棚上げ。

カリキュラムに不満を感じ、失望した部分も少なくないけれど、
それでも今の気持ちとしては、「大学に行って良かった」と
心から、素直にそう思える。


この4年間で学んだことは、
高専時代の5年間で学んだことはもちろん、
会社員時代の14年間で学んだことさえも比べものにならないくらい、
かけがえのないものとなった。


ありがとう、みんな。


"卒業認定通知と成績表【4年】"の全文を読む »

2011年3月 5日

建築という枠組み

建築デザイン / 展示・イベント

gallery3331.jpg


友達に誘われて、「3331 Arts Chiyoda」という
学校を改装したギャラリーに講演を聞きに行ってきました。

京都精華大学の卒業制作展示の一環で行われる連続講演、
「デザイン教育の現場から」の初日に行われたもの。
テーマは「建築という枠組み」、
講師は同大学で教鞭をふるう二人の建築家、永山祐子氏+片木孝治氏。


永山祐子さんは今をときめく新進気鋭の若手建築家、
一方、片木孝治さんは建築設計の次のステップとして、
農山村地域をアートで活性化するプロジェクトをメインに活動されています。
これも一種の「都市計画」なのだろうか。


建築と社会。
今、まさに僕が必死に考えている方向性につながるタイムリーな講演会。
でも、「若手」を簡単に信用せず、ソフト優先指向を嫌う自分の性格では、
たぶん一人で行くことは決してなかっただろう。


誘ってくれた友達に感謝。


"建築という枠組み"の全文を読む »