いまさらFacebook

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映画が公開されて、とくに流行ってるから、というわけでもないのだけど。

なぜかFacebookがマイブーム。
なぜかまったく知らない海外の人から友達申請がちょこちょこ来る。
一方でおすすめの友達の中には、知ってる人間がちらほら。

SNSは人とつながらなければはじまらない。
SNSが登場した当時は、ユーザーが自発的にアクションを起こさない限り、
友達の輪は広がっていかなかったけれど、
今は自分のプロフィールを入力すれば、
友達と覚しきメンバーのサーチや、自分とマッチする人物の紹介する機能により、
よりつながりやすく、メンバーを増やしやすくなってる。
SNSも進化しているようだ。


実は4年くらい前にこのブログでもFacebookを紹介してました。
いまだにFacebookの機能はよく理解してないけど、
日本語版も登場した今は、少しは利用しやすくなってる気がする。


Facebookのオフィシャルページにmixiとの違いについて
説明しているけれど、正直ピンとこない。
端的に言えば、海外のSNSと日本のSNSの差なんだろうけど、
僕なりに感じるこの二つのSNSの差は、
Facebookのほうが「よりリアルに則したコミュニティ」だということ。

別に海外生活の経験があるわけではないので、あくまで推測なのだけど。

日本のデジタルイメージ、グラフィックイメージは、
アニメに代表されるように現実を極度にデフォルメする。
そのため現実とのギャップが激しく、現実と隔絶されがち。
当然、そのようなイメージが載るネットという媒体も
自然とその特性を引きずる。

現実とのギャップが激しいから匿名性がはびこる。
僕は日本のネットのそんな特性があまり好きじゃない。


一方、Facebookはあくまでリアルの一部としてのツール、
という位置づけのように見える。
機能の差異は相変わらずよく分からない。
mixiは自分自身でSNSの機能をリリースするのに対して、
Facebookは必要最低限の機能のみ実装し、拡張機能はサードパーティに
開発させる、という違いがあるらしいけど、
今のところ僕にはその差異が実感できない。

ただ、Facebookのユーザ名は実名公開、アイコンは自分の写真、
という基本ルールはいかにもリアルの世界のものだ。
もっとも、その基本ルールを無視した日本人ユーザはたくさんいるけれど。
日本人って、内面をなかなかさらけ出せない国民性なのだろうか。

Facebookではプロフィール画像を6枚登録できる。
そこで僕は最初、最近の写真を2枚、ネットでのイメージアイコンを1枚載せた。
さて、あと2枚どんな写真を載せようかと、さんざん悩んだ末、
二十代の運動馬鹿時代のスキーシーンと、合気道の稽古風景を載せてみた。

ここで改めてはっと気付いたのである。
Facebookが現実から離れていないことに。

僕がブログをきっかけにネットになじむようになったのは三十代。
僕のネット人生に二十代の記憶はあまり刻まれていない。
デザインや美術に興味を持つようになる以前の記録は少ない。

Facebookのプロフィール画像を6枚登録しただけで、
僕は自分が「芸術に興味を持つ」だけの人間ではなく、
身体を動かすことが大好きな、運動馬鹿の一面を持つ人間であったことを再認識し、
かつそれを第三者にアピールすることができたのである。

そこには時間が流れを感じさせる何かがあり、
僕の人生そのものを感じさせてくれるものがある。

mixiのような抽象化されたイメージの世界では、
アクセスした瞬間の「今」という状態しか存在しない。
そこには時間の概念はなく、時が止まったサイバーワールドである。
時間が存在し、時が流れる現実とは、あまりにもかけ離れた世界である。


少々大げさな話かもしれない。
僕が感じたことは、意識の持ちようでmixiでも実現可能なことである。
しかしmixiでユーザ名を実名、アイコンを自分の写真としているユーザは少ない。
mixiでそうすることには違和感を感じるし、さらには危険性を感じたりもする。
そこが日本と海外のネット文化の相違なのだろうか。


僕はネットの匿名性にはあまり期待していない。
匿名の善意は無条件に受け入れるが、それでもその善意には限界がある。
お互いを知ることで得られる善意の方が何倍も幸福であることを知っている。

ネットの異常なまでの速さの情報の拡散性も、
リアルとのタイムラグはあるだろうが、
あくまでリアルに則して利用されるべきだと思う。
そうしてはじめてネットのツールとして有効性が見いだされるのではないか。

安易にデジタルイメージと直結したゲームと融合させようとする、
mixiやGREEなどの日本のSNSに未来はあるのだろうか。

僕自身はもう昔ほどmixiを使わなくなっている。
周囲のマイミクたちがあまり使わなくなってるから。
SNSは周囲の熱が冷めたらおしまいだ。
自分一人で楽しめるシロモノではない。

GREEはもっと使わなくなっている。
モバゲーなどmixi以上にモバイル、ゲームに特化してしまったGREEに
魅力を感じなくなったから。


日本のSNSも、もっとリアルとの接点に目を向けるべきではないだろうか。

僕の考えは、デジタル嫌いの単なる的外れだろうか。

デジタルが嫌い、といってもデジタルの存在を全否定したいわけじゃない。
より良いアナログを創出するための途中過程において、
デジタルはこれからも「そこそこ」使い続けるだろう。


一度はデジタルにどっぷり浸かった身として、
デジタルとアナログのより良い関係をこれからも模索していきたいものです。