デジタルのゴミ

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かつてデジハリで学んでいた頃。

ちょうどブログの黎明期で、さまざまなブログサービスがリリースされていた。
当時から無料で利用できるものがほとんどだったので、
手当たり次第ユーザー登録してはそれらのサービスを試した。

その後、SNSが出てきて、やはり片っ端から登録していった。


その試行錯誤熱も落ち着き、ブログはMovableType、SNSはミクシィに落ち着いた頃、
今度はTwitterが出てきた。

その頃には、Webに対する熱も冷めてきていて、
日用品として、当たり前のように利用は続けていたけれど、
もう以前のように新しいサービスに飛びつく、ということもなくなった。


なにより僕はTwitterの性格が好きになれない。
情報の溢れるスピードがあまりに速すぎる。

すごいスピードで有益な情報を吐き出す一方で、
すごいスピードで無益なゴミを吐き出す。


デジタルといえど、ゴミはゴミだ。
ゴミは無益なばかりでなく、有害なものだ。
ゴミは少ないほうがいい。

ネットに即応性を求めることに疑問を感じる。

仮想世界を現実世界に近づけることで近づけるほど、
仮想世界の価値が上がる一方で、現実世界の価値は下がってゆく。
...そんな気がする。


仮想世界はあくまで現実世界をサポートする位置にあらねばならない。
仮想世界が現実世界に置き換わるようなことはあってはならない。
どんなにスピードが上がっても、仮想は所詮仮想だ。
触ることはできない。


人の言葉の暖かみには価値がある。
一番良いのは直接相手と対峙して交わす言葉であるけれど、
紙面上や、画面上という間接的に交わす言葉にももちろん価値はある。

しかし必要以上に言葉を溢れさせてはならない。
それは1つ1つの言葉の価値を薄れさせてしまう。
言葉の量が、言葉の質になるわけでもない。
だから僕はTwitterを使わない。
じつは一度アカウント登録したけどすぐに使わなくなった。
僕はブログで十分。


「お手軽に」
それが大衆サービスの醍醐味である。
しかしそれが大衆を堕落させてもいないだろうか。

考えさせる。
学ばせる。
工夫させる。


そういうものにこそ、本当の価値があるのではないだろうか。